現代医学では、インスリンは膵臓から分泌され、血糖値を下げるとともに、ブドウ糖を細胞内へ取り込み、エネルギーとして利用できるようにする重要なホルモンだと考えられています。インスリンの分泌が不足したり、働きが悪くなったりすると、糖尿病をはじめとするさまざまな代謝異常を引き起こす可能性があります。
一方、中医学の理論において、膵臓の働きに最も近い役割を担うとされるのが「脾」です。ただし、ここでいう脾とは、解剖学的な臓器としての脾臓を指すものではなく、消化・吸収、気血の生成、そして体がエネルギーをどのように使うかといった、一連の機能全体を意味しています。この視点から見ると、インスリンは「血糖とエネルギーを管理する仕組み」に相当し、「脾気」とは、食べ物を体が使えるエネルギーへと変換する総合的な力だと捉えることができます。
このような考え方に基づくと、インスリン分泌の異常やインスリン抵抗性は、中医学では「脾気が弱り、運化(消化・変換・運搬)の働きが乱れている状態」として理解されます。これはあくまで中医学的な解釈や比喩であり、現代医学の診断に取って代わるものではなく、現代の代謝の問題を伝統的な言葉で理解するための考え方です。
「脾気不足」とは何か
中医学でいう「脾気不足」とは、体がエネルギーを作り出し、全身に配分する効率が低下している状態を指します。代表的な体のサインとしては、疲れやすい、元気が出ない、食後に強い眠気を感じる、手足に力が入らない、体が重だるいといった症状があります。また、腹部の張り、便通が悪い、あるいは便が粘り気を帯びやすいといった消化器症状が見られることもあります。舌の色が淡く、舌苔が白っぽい、脈が弱いといった所見も、脾気不足の特徴とされています。
これらの状態は、現代医学で観察される代謝能力の低下、インスリン感受性の低下、血糖調節機能の低下と、一定の共通点があります。つまり、食事からエネルギーや糖分を摂取していても、それを細胞が十分に活用できず、必要な場所で力を発揮できない状態です。この全体像は、概念的にはインスリン抵抗性の状態とよく似ています
食べているのに力が出ない? エネルギーが「細胞に入らない」状態
現代の生理学では、インスリンを「鍵と鍵穴」にたとえることがよくあります。インスリンは鍵のような役割を果たし、ブドウ糖を細胞の中へ入れることで、細胞が活動するための燃料を供給します。この鍵がうまく働かなかったり、鍵穴である細胞側の反応が鈍くなったりすると、糖分は血液中にとどまり、細胞の中へ入ることができません。
これに対して中医学では、「脾気」は荷物を運ぶ人のような存在だと考えます。脾は食べ物を気血へと変換し、それを全身へ届ける役割を担っています。この運び手が疲れ切り、脾気が不足していると、エネルギーの生成量が足りなかったり、運搬が滞ったりして、食べているのにますます疲れてしまい、「食べても力が出ない」と感じるようになります。この状態は、インスリンは存在していても細胞がなかなか「扉を開けない」場合や、インスリンそのものの分泌が不足し、エネルギーが血液中に滞ったまま細胞へ届かない状況と、重ね合わせて理解することができます。
脾を立て直すと、代謝とエネルギーはどう変わるのか
1.消化器系を整え、運化の力を高める
中医学の視点では、インスリンに関わる代謝の問題を改善するうえで、まず重要になるのが「脾」、つまり消化器系の運化機能を高めることです。実際の臨床では、山芋、はと麦、白朮、茯苓、人参など、消化器系を健やかにし、余分な湿を取り除く働きをもつ食材や生薬が用いられることが多く、脾気を補うことで、体が食べ物をエネルギーへと変換する力を高めていきます。
これらの方法は、中医学の理論と長年の臨床経験に基づくもので、体質を整え、疲れやすさや腹部の張り、体の重だるさといった脾虚の症状を改善することを目的としています。慢性疾患の体調管理の一環として取り入れる場合には、必ず資格を持つ中医師の診断と処方のもとで行い、現在受けている西洋医学の治療と併用することが勧められます。
2.湿のたまりを減らす
中医学では、「湿」はエネルギーの流れを妨げ、運化の働きを阻害すると考えられており、この状態を「湿が脾を困らせる(湿困脾)」と表現します。湿の蓄積を防ぐために、食生活では次のような点が重視されます。
冷たいものや体を冷やす食べ物を控え、胃腸の陽気や消化機能を損なわないようにすること。
精製された糖分や甘すぎるお菓子を控え、体に過度な負担をかけないこと。
アルコールや脂っこく重たい食事、粘り気の強い食品を摂りすぎないようにし、体内の重だるさや湿っぽさを増やさないこと。
これらの心がけは、中医学における「湿困脾」の考え方に沿うだけでなく、日常的に消化器への負担を軽減し、胃腸が本来の「エネルギーを生み出す働き」に集中できる状態を整えることにつながります。
3.規則正しい生活で、流れに沿って消化器系を養う
中医学の経絡理論によると、胃腸の経絡は毎日午前9時から11時にかけて特に活発になり、この時間帯は体のエネルギーが充実し、作業効率も高まりやすいとされています。また、脾と表裏の関係にある胃の経絡は午前7時から9時に最も旺盛になるため、「朝食をしっかり取ること」が重視されます。
この考え方に基づくと、朝は量と栄養のバランスを意識した食事を取ることで、胃腸の働きが整い、日中を通して安定したエネルギー供給につながります。
一方、夜は食べ過ぎを避け、遅い時間の食事や習慣的な夜食は控えることが勧められます。夜は胃腸が休息すべき時間帯であり、その時間に無理に働かせると、運化の力が徐々に低下し、湿の蓄積や代謝への負担が増えてしまうからです。
このような時間の捉え方は、中医学の経験と理論に基づくものであり、現代科学を否定するものではありません。あくまで、「規則性のある食事と生活リズム」を身につけるための指針として役立てることが目的です。
4.穏やかな運動で、気血と運化を助ける
中医学では、「長く座り続けることは脾を傷める」「体を動かすことで陽気が生まれる」と考えられています。長時間座ったままでいると、気血の巡りが滞りやすくなり、それに伴って消化器系の運化機能も低下していきます。これに対し、散歩や太極拳のような、穏やかで継続しやすい運動は、気血の流れを促し、間接的に胃腸の働きを整える助けとなります。
日常の健康管理としては、一日中ほとんど動かない状態を避け、自分が無理なく続けられる穏やかな運動を選ぶことが大切です。体力を過度に消耗することなく、摂取した食べ物を「負担」ではなく「使えるエネルギー」へと変えていくことにつながります。
中医学と西洋医学 異なる言葉で語られる、補い合う関係
現代医学では、膵臓から分泌されるインスリンがブドウ糖を細胞内へ取り込むことによって、生命活動が維持されていると考えられています。インスリン抵抗性やインスリン分泌不足が起こると、糖分が十分に利用されず、エネルギー供給が低下し、疲れやすさやだるさとして現れます。このような場合、食事管理、運動、薬物療法などを通じて代謝の調整が行われます。
一方、中医学では、この状態を「脾が運化を主る」という考え方から説明します。脾気が不足したり、湿が停滞したりすると、飲食物を気血へと変換し、全身に届ける力が弱まり、疲労感、肥満、血糖調節の乱れといった問題が生じやすくなります。そのため、中医学の治療は「脾を健やかにし、湿を取り除き、運化を整える」ことに重点が置かれ、エネルギー変換の正常な状態を取り戻すことを目指します。
総合的に見ると、中医学と西洋医学は、互いに否定し合う関係ではありません。同じ「体のエネルギー管理の乱れ」という本質を、異なる視点と言葉で説明しているのです。西洋医学は血糖やインスリンを直接的にコントロールすることを重視し、中医学は消化やエネルギー全体の仕組みを整えることに重点を置きます。専門家の判断のもとで両者を適切に組み合わせることで、血糖を安全な範囲に保ちながら、体質や生活習慣を改善し、長期的に安定した自己調整力を取り戻すことが期待できます。
最後にひとつ大切なポイント
「脾気」の状態に目を向けると同時に、血糖値のチェックも忘れないようにしましょう。中医学の考え方は、現代医学に取って代わるものではなく、体を理解するためのもう一つの視点を提供するものです。すでに血糖の異常や代謝の問題がある場合には、医師の指示に従って血糖値やインスリン、関連する検査項目を定期的に確認しながら、自分に「脾気不足」のサインが出ていないかにも目を向けてみてください。
食事、生活リズム、運動といった日常習慣を見直すことは、特に初期の段階では、脾気虚弱や湿が消化器系を妨げる状態を改善するうえで効果的です。脾胃の働きが高まることで、体はエネルギーをよりスムーズに使えるようになり、代謝環境全体の改善にもつながります。ただし、こうした調整は、必要な医療を妨げないことが前提です。慢性疾患がある方や薬を服用している方は、必ず医師や中医師と相談しながら、適切な進め方を検討してください。
(翻訳編集 華山律)
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