誰が為の革命だったのか 孫文の妻 宋慶齢が中共に宛てた7通の手紙
1915年(大正4年)、22歳の宋慶齢は、彼女より27歳年上で50歳近い孫文と結婚した。
1917年のロシア十月革命後、国際的に非常に孤立していたソビエト政権は、1919年に対外的な「革命輸出」のためにコミンテルンを設立し、ソビエト政権を守ろうとした。中国はソビエト政権の「革命輸出」の重要な対象の一つとなっていた。ソビエト連邦共産党は一方でコミンテルンを通じて中国共産党の設立を操作し、他方で孫文率いる中国国民党との関係構築を図った。
1923(大正12年)年1月、ソ連外交部副部長のヨッフェが上海で孫文と会見した後、「孫文ヨッフェ宣言」を発表した。この宣言の発表は、孫文が「ソ連との連携と共産党の容認」政策を実行し始めたことを示している。
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