天罰 盲目の姑にミミズを食わせる不孝嫁の末路
中国、清の時代の名作「囲炉夜話」に「百善孝為先」(百の善行の中で、親孝行が最優先である)という言葉があります。親孝行は中国伝統文化のコア・バリュー(中核となる価値観)であり、中国社会の倫理を構築する最も重要な要素でもあります。古今を問わず、親孝行は人間性を評価する道徳基準です。もちろん、不孝な人は神様から天罰を受けるでしょう。天罰の(小話)を二つご紹介しましょう。
清の時代、中国江西省新建県に顧さんという女性がいました。夫の洪さんは車夫(馬の世話)を勤めていて、親孝行で評判の良い人です。その母親は年を取り、目も見えなくなりました。洪さんは報酬を得たら、必ず、お酒や肉を買って帰って、妻に母親へ御馳走を作らせました。
しかし、妻の顧さんはいい嫁ではない上、食いしん坊でもありました。夫が留守をすると、義母を虐待します。買ってきた食材をほとんど独り占めし、義母に食べさせるのはほんの少しだけです。母親は心配をかけないよう、息子に何も言わず一人で悲しんでいました。
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古代中国において、雷は神の怒りと考えられていました。人間が神に逆らい、人道に反すれば、神は雷をもって善悪を正し、邪な者に罰を下します。「自然」は存在せず、すべての現象には理由があるのです。
結婚して18年目、父親が他界したのをきっかけに、母親と同居することなった。月日が経つに連れて、年老いた母との摩擦が増え、家庭内はいつも不穏だった。母親は頑固さを増し、コミュニケーションが取れないばかりか、くどくど言う煩わしさにはとても我慢できない。しかし、自分としては、なるべく母を思いやって接しているつもりだった。
唐の時代、李皋(りがお、733~792年)が温州に在任していた時のことです。李が視察に出かると、年配の婦人がさめざめと泣いているのを見かけました。不憫に思った李は、婦人になぜ泣いているのかと聞きました。婦人は、「私には二人の息子がおります。名前は、李鈞(りじゅん)と李锷(りあ)です。息子たちは功名富貴を求めて故郷を離れ、二十数年も経ちましたが、一度も家に帰って来たことがありません。今の私は、たった一人で貧乏暮らしを送っています」
「父の日」はアメリカ発祥で、毎年6月の第3日曜日に、父親への感謝と祝福をさまざまな方法で表す日です。花やプレゼントを贈る家庭もあれば、一緒に食事を楽しむ家族もいます。