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(5)地方裁判所は、別荘主敗訴の判決を言い渡す時、「土地管理法」第58条の「国は、『公共の利益のため必要な時には土地使用権を回収する』権利を有する」しか引用せず、「都市不動産管理法」第19条の「すでに合法的に貸し出した国有地の使用権は、使用期限が来るまでは回収しない」という条文を取り上げなかった。別荘主の土地は、70年の使用権を有する土地として国から購入していたものなので、後者に属するはずだ。ゆえに国は回収できないのである。
現在中央政府はすでに、大学都市は教育事業ではなく、公共利益でもないと規定している。裁判所は、大学都市建設を決定した広東省政府の2002年197号文書を、芸術村撤去の根拠となる法律文書とみなした。しかし2003年10月14日、広東省政府(2003)76号の文書では、すでに明確に、大学都市の土地収用の認可書を撤回しているのだ。つまり最後になって、広州市政府はまたもや「地方政府による国務院騙し」をやってのけたことになる。
このように明らかに違法であるにもにもかかわらず、地方当局はさらにまた法に背いて2004年4月23日、芸術村3地区の取り壊しを2004年10月29日まで延ばす通知を貼り出した。
小谷囲芸術村3地区で起きた、権利を守る過程で生じた状況はすでに、別荘主である個人が合法的な私的財産を守る上での得失の問題をはるかに超えていた。つまり、中央政府と国の法律は明確に別荘主の権益を守ろうとしているのに、地方政府が実行する段階になるとそれが一転してしまうのである。
2004年5月15日、フェニックステレビ(鳳凰衛視)の「世紀大講座」という番組で、北京国際関係学院の肖功秦教授は、目下、中国が制度上の変革で急ぎ解決せねばならない問題は、地方権力の「スーダン化」だと指摘し、次のように述べた。
「さもなければ、中央による法の支配は、深刻な試練に見舞われ、おそらく中国社会の現代化の発展を阻害する。この角度から言えば、芸術村の別荘主の権利を守る運動は、1年前彼らが行動し始めた時には思いもよらない、目にしたくない局面に至ったことになる」
芸術村はすでに死んだ、しかし人々の記憶が死ぬことはない。
中央政府の度重なる禁止令を無視して、国務院の審査承認を通さずに、あるいは地元の人民代表大会で承認されるという前提で、地方政府が好き勝手に様々な再開発をするのはよく知られている。「広州大学都市」を例に取れば、農民の土地収用で支払われる土地の補償費用は、1ムー(約15分の1ヘクタール)当たり3~5万元に過ぎないのに、公の場の競売では、その価格が250万~300万元にまで跳ね上がるのだ。
このように、強制立ち退きによって、土地はにわかに黄金と化し、底なしの財源となった。どうりで地方政府は、なりふりかまわずに立ち退きを行うわけだ。これは官と業の結託による、人力と財力の浪費でもある。すでに国家の利益を損ね、庶民の財産をも略奪し、最終的に一部の利益集団の私腹を肥やしているからである。
もし広州市政府が自信を持って、「これは教育事業の必要のため、建設予定地の土地を農民から収用し、大学都市を建設するのだ」と言うのであれば、大学都市の傍らにある別荘地区は何なのか。今振り返ってみると、芸術村の存在は大学都市の建設に影響を与えることはない。なのに、なぜ広州市政府はそれを絶対に撤去しなければならなかったのか。3つの別荘地区の撤去費用は3~4億元かかるが、これら別荘地区の価値は、補償費用をはるかに上回るものだ。
業界と官僚。この結託した利益集団は、個人の金を一切出さない。しかし、いわゆる「大学都市」開発で得た莫大な利益は、善良な市民の想像を絶する額である。利益のため、ましてや暴利のためなら、彼らは道徳的価値に背を向けることすら厭わない。例えば大学都市建設計画では、1本の木も切らず、緑豊かな丘を壊すこともないと表明していた。
つまり、この大学都市計画における主要な部分である緑の長い回廊が保全されるはずだったのだ。しかし、現実はその逆となった。丘を一面の更地にし、数え切れないほどの木を切り払い、小谷囲芸術村の緑の田園が、あたかも黄土高原と見間違うかのように変わり果ててしまった。大きな養殖場の湿地も黄土で埋められて、見るに忍びない光景に変わり果ててしまった。
何よりも不思議なのは、後になって市政府が900万元(今のレートで約1億1千万円)を出資して、杭州嶺南派の画家の作品および、青年・中年画家や彫刻家の作品を収集すると宣言した点である。これは文化都市としての広州市をアピールするためだという。しかし実際には、芸術村に居を構える嶺南画の十大巨匠のうち5人の画伯の家と作品、中堅および若手の画家数十人の家と作品も、手荒に破壊された。
家の所有者たちは「庶民の家を勝手に壊すことは許されない。小谷囲芸術村を撤去した広州市政府の行為は、まったく正当化できない。しかし市政府はなぜこれほどまで頑なに、去年財産権を得たばかりの別荘を撤去したのか。我々は、国務院(訳注、日本でいう内閣)および関係部門が、この真相を徹底的に調査し、我々が納得のいく答えをくださるよう切に願う」と声を震わせた。
ああ、正義が途絶えてしまった社会において、政府に正義を求めるなど、不可能に挑戦するばかりでなく、これまで正義の価値を携えたことのない政府を困らせることにもなろう。この政府に正義を求めるということ自体、(当事者ではない)私ですら多少の怒りを覚えるのだ。
(続く)
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