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道義が私を突き動かした
鄒偉毅くんの医療事故の案件は、私にとって生涯忘れえぬものとなった。当時、私は情熱を胸に、彼らのために身を粉にして努力した。そのことは、今思い出しても胸が熱くなる。だが、私はもっと多くのものを得た。裁判から何年経っても、私と彼ら一家は新年や節句には電話で挨拶をするなど、家族同然の付き合いをしていた。
2002年、私が丹東に行き彼らを訪れると、一家はある物を見せてくれた。それは、私が節句や偉毅くんの誕生日などの節目に送っていた200元の為替明細書4枚だった。彼らはそれを皆コピーして、アルバムに貼って大切に取っておいたのだ。彼らにとっては、私の援助が何よりも心に残る記憶だったのかもしれないが、それを目にした私は涙が止まらなかった。
しかし、6年あまりの弁護士人生を通じて私は心を痛めていた。国の法制に全く進歩が見られないからである。中国の国内メディアが鄒偉毅くんの医療事故の裁判の後、私を取材しに来た。彼らは、本件の賠償金額は中国の医療事故史上最高だから嬉しいはずだと言っていた。確かに、この子の具体的な権益についていえば、賠償金を得られて私ももちろん喜んでいる。
しかし、私がこの件に介入する前、なぜこの老人と幼子の苦境に手を差し伸べる政府部門が皆無だったのか。司法はなぜ、この子に納得した答えを出すのに6年も7年もかかったのか。この子が法律の援助を必要としている時、なぜ味方となる弁護士が中国全土ですら、ほとんど現れなかったのか。一方、卑劣な被告が弁護士を必要とした時、なぜ東北で一流とされる弁護士が、障害児の敵役としてすぐさま登場したのか。
医療の分野において、天理に背き人間性の欠けた案件は数多(あまた)ある。この種の案件は、病院の技術および財産の面で優位にある上、それらは皆、国の機関に属しているので強者の地位を占めているのだ。
加えて司法部門には道義もなく、法的責任に対する最低限の尊重や敬意を払うこともないので、この種の案件の処理は通常、極めて不公平であり、天理に背いたものとなるのである。この数年、私はこのような状況を変えるため、全力を傾けてきた。私が担当した案件のほとんどが国内で大々的に報道されたので、確かに全国規模で一部の考え方を変えられたと思っている。
(続く)
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