1942年2月25日午前1時44分、南カリフォルニア沿岸のレーダー観測所が、ロサンゼルスに向かって飛行する未確認飛行物体をとらえました。午前2時頃、飛行物体は海岸線から200km離れた位置に出現し、その25分後にはわずか5kmの距離まで接近してきました。
この時点で、全空襲防衛設備に射撃準備命令が下され、警報が鳴り響き、灯火管制が下されました。この時、奇妙なことに、レーダー画面上の信号が突如消えて、未確認飛行物体が突如消失したのです。しかし、肉眼では依然として空中に浮かぶ物体が確認されたとの報告も寄せられていました。
さらに、各地からの報告によると、なんと未確認飛行物体の数は1機から数百機まで、飛行高度も数百メートルから数千メートルまで、スピードも速いものから遅いものまで、さまざまなバリエーションがあったというのです。
午前3時6分、米海軍は突如、全火力で攻撃を開始しました。サーチライトの放つ眩しい光線が夜空を切り裂きながら目標を探し、5〜8kgの高射砲弾が空に向かって発射され、5.0口径の機関銃が絶え間なく打ち続けられました。攻撃は午前4時14分まで続き、灯火管制は午前7時21分にようやく解除されたのです。関係者によると、その日の夜、1400発以上の対空砲が発射されたといいます。
ロサンゼルスでは、約200万人がこの「戦い」を目撃しました。
しかし、当時は第二次世界大戦の最中であったため、人々はあの夜、実際に何が起こったのかをじっくり考える暇もなく、事は過ぎ去ってしまいました。
ところが、1945年、第二次世界大戦が終結した後、「ロサンゼルスの戦い」が再び人々の目に留まり、その後、1947年の「ロズウェル事件」に加え、UFOの説が浮かび上がったのです。
米軍は再調査を実施しましたが、結局、ロズウェル事件と同様、気象観測気球が原因だというのです。
しかし、熱心なUFOマニアの中には、このことを快く思っていない者もおり、多くの疑問を投げかけました。
例えば、ハリウッドで放たれた気象観測気球がどうして注目されずに遠くまで漂い、戻ってきたら敵機として扱われたのか。また、気球がたった25分で195kmも移動できるのか。さらに、「本当に気象観測気球なら、1400発以上の高射砲弾と無数の機関銃弾をもってして撃ち漏らすだろうか?」と疑問視する声も上がっています。
このように、「ロサンゼルスの戦い」は、その後の「ロズウェル事件」と同様、UFOコミュニティーの未解決ミステリーとして、公式発表と民間の態度に違いが見られるようになったのです。
しかし、2016年、この出来事について新たな情報が明らかになりました。米国の秘密シンクタンク「ダグラス」で上級分析官を務めた科学者ウィリアム・ミルズ・トンプキンス氏によると、事件当時、海岸沿いの住宅地に住んでおり、その晩は、兄弟と父親の3人で、遠い空中に白くて明るい点が浮かんでいるところを見たといいます。それを5分ほど見ていると、突然、眩(まばゆ)い閃光(せんこう)が走り、次の瞬間には何もかもなくなっていたのです。
しかし就寝後、高射砲の音で目が覚め、再び外に出て見てみると、地上から約2000メートル離れたところで非常に大きな未確認飛行物体が浮いており、8つのサーチライトの光線がそれに焦点を当てていたというのです。その底辺近くで砲弾が絶えず爆発しているのに、飛行物体は何ともありませんでした。
トンプキンス氏によると、当時、巨大な飛行物体が1時間半ほど滞在し、その間、周囲に数百の異なるタイプの機体が現れたといいます。そして攻撃終了時、ロサンゼルス防波堤は弾薬を使い果たした海軍の艦船で埋め尽くされており、太平洋艦隊、東部海軍と西部海軍の両艦の弾薬も底を尽きました。
トンプキンス氏の証言は、先ほど話した目撃報告にある飛行物体の数、高度、速度などを裏付けています。
詳しくはEPOCH TVをご覧ください。
https://www.epochtimes.jp/2023/01/132332.html
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