中国の伝奇小説『西遊記』に登場する唐僧のモデルとして、実在した玄奘三蔵(三蔵法師)には、伝説的な生涯があります。(shingo / PIXTA)

【三蔵法師の巡礼】その1:仏法を求める為に「国禁を犯して冒険へ」

中国の伝奇小説『西遊記』に登場する唐僧のモデルとして、実在した玄奘三蔵(三蔵法師)には、伝説的な生涯があります。ここでは、玄奘の弟子が記録した玄奘が口伝した彼自身の経歴や、彼の弟子たちの回想録をもとに、さらに史書の記述と合わせて、歴史上の本来の玄奘の姿を再現しようと思います。

玄奘が生まれたばかりの頃、母親は彼が白い服を着て西に向かって行く夢を見ました……母親は「私の息子よ、どこに行くのか」と尋ねると、玄奘は「法を求めに行くのだ」と答えました。

玄奘は、紀元600年、洛陽から30キロ離れた陳家村(現在の河南省偃師市)に生まれました。

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「西遊記」で有名な玄奘法師(三蔵法師)。日中戦争中、日本人が彼の骨を日本に持ち帰った事をご存知だろうか。現在、玄奘法師の骨は埼玉県にある慈恩寺に奉安されている。
「千里の道は一歩から」という格言があります。一人の僧侶が、一歩を積み重ねることで17年間の旅路が可能であることに気がつきました。この若い僧侶の名は「玄奘」または「三蔵法師」として知られ、「唐僧」としても 親しまれています。冒険に満ちた取経の旅の史実から、伝奇小説『西遊記』が生まれました。小説の中で玄奘は、唐の皇帝・太宗の要請でインドへ渡り、仏教の経典を持ち帰りました。
唐の時代は、隆盛し、武力にも優れ、宗教も共存し、芸術と科学が花開いた時期でした。よく中国の黄金期とされています。『西遊記』の取経の旅は、1300年前、唐の時代に長安の都から三蔵法師が旅立つときの話です。
インドに渡っていた玄奘は645年に経典657部や仏像などを持って中国に帰還しました。 唐太宗は、玉華宮の正殿に玄奘を呼び、勅書「大唐三蔵聖教序」を読み上げ、玄奘を経典の翻訳に専念させるため、豪華な宮殿を僧院に変えました。
唐の僧侶である唐三蔵が日本では三蔵法師として知られています。三蔵法師は陳瑋(チン・イ)という俗名を持ち、現在の河南省偃師県の南部で生まれました。彼が出家してからの戒名は玄奘であるため、現在でも玄奘三蔵と呼ばれています。