西遊記でも知られる玄奘(三蔵法師)は、シルクロードを通って仏教の聖地であるインドに渡り、当時の仏教の最高学院、ナーランダ僧院で仏教を学び 645年に経典657部や仏像などを持って帰還しました。
唐太宗は、金色に輝く玉華宮の正殿に玄奘を呼び、勅書「大唐三蔵聖教序」を読み上げ、高い評価を与え、玄奘を経典の翻訳に専念させるため、豪華な宮殿を僧院に変えました。
都から遠く離れ、美しい山々と清々しい空気に包まれた玉華宮は、まさに写経に適した場所でした。まさか太宗から宮殿を与えられるとは思ってもいなかった玄奘は喜び、太宗に一層感謝しました。 玄奘はその寺で自分の手で仏像を作って拝み、心を静かにして経典を翻訳したそうです。
玄奘は約3年で20数冊の経典を翻訳し、さらに2年で20万頌(仏典の長さの単位)の大般若経を翻訳し、長安城にいるよりずっと早く、玉華宮で経典を翻訳できたことをとても喜んでました。
玄奘は「都の賑やかさは長く続き、自分もようやく天下の大宝を手に入れたのだから、弟子達は皆、盛大に祝ってくれ」と、興奮気味に言いました。 自分の手で植えた娑羅樹はすでに葉が茂り、東屋ほどの大きさに育っており、玄奘はよくこの木の下で弟子たちと、とてもよい気分で経典の講義や勉強をしていました。 こうして、気がつけばもう1年が経っていました。
ある夜、経典の翻訳を終えて布団に入り、休んでいると、目を閉じると誰かが自分を呼ぶ声が聞こえました。 目を開けると、自分を守ってくれた弟子の孫悟空、猪八戒、沙和尚が来ていました。3人は玄奘に久しぶりに会えて喜んでいます。
孫悟空は「ご師匠様は西域で経典を手に入れるという偉業を成し遂げました。仏様は三人の弟子を遣わして、あなたを西方極楽浄土に招き、玉座も用意しています」と言いました。
すると玄奘は「お前たちや西方極楽浄土のことを忘れたわけではないが、経典の翻訳に忙しく、気にかけている暇はなかった」と答え、「 写経の旅から帰ってきて、もう20年近く経つが、昼夜を問わず翻訳してもまだ10分の2も終わらない。 残りのお経も、生きている間に終えられるかどうか」 と言うと、彼はため息をつきました。
猪八戒は私たちが来る前に、「仏様は玄奘様をお呼びしたいと何度も言っていました」と言い、「主が不在だと幸せな気持ちにもなれないものです」とも言いました。沙和尚も「先生、私たちは仏様のお願いを伝えに来たのです」と迫りました。
弟子たちの度重なる求めに心を動かされ、玄奘は仏の命に背くわけにはいかないと思い、仕方なく「よし!」と言いました。 その時、雄鶏の鳴き声が聞こえ、玄奘はそれが夢だったと気づいて目が覚めました。
翌朝、玄奘は娑羅樹の下に玉華宮の弟子たちを集めて、「玉華寺院でお経を翻訳し6年になるが、まだ大部分の経典が翻訳されていない」と言いました。 さらに「私は寿命が尽きる。残されたお経はお前たちが訳すのだ」 そう言って、弟子たちを率いて芝蘭の谷、鳳凰の谷、珊瑚の谷に行き、仏像を参拝しました。
その夜中、玄奘は玉華宮に座り、西方極楽浄土に行き、仏に呼ばれて弟子たちに会いに行ったということです。
(翻訳・微宇)
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