「コチャルカスの聖母」(パブリックドメイン)

伝統的芸術が語る美とは何か (下)

ラテン・アメリカの芸術

ヨーロッパの帝国の中で、スペイン帝国は最も長く存在していました。500年近くの間、スペインは広大な領土を統治し、南アジアから南アメリカまで続いていたのです。

スペインによるラテンアメリカの植民地化は1519年に始まり、当時のヌエバ・エスパーニャ副王領 (新スペイン)には、北アメリカ大陸、カリブ海、太平洋、アジアの一部分が含まれ、首都はメキシコでした。1542年頃から、ブラジルと最南端部分を除いて、南アメリカ大陸のほとんどがペルー副王領となったのです。

ヨーロッパの芸術家たちは厳しい航海の旅を経て、大西洋を横断して、ラテンアメリカにやってきました。彼らは家庭や修道院、教会などのための宗教美術を創作し、全ラテンアメリカに広めたのです。

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17世紀まで、ヨーロッパの芸術家たちの影響を受けて、南アメリカの芸術家たちは独自の美術スタイルを生み出しました。

例えば、絵画「コチャルカスの聖母」(Our Lady of Cocharcas)は、あるペルーの画家が描いたもので、色鮮やかな衣装を身に着けた巡礼者たちが、高いアンデス山脈を登っていく様子が描かれており、聖母への敬意が十分伺えます。

この絵画の画風と色使いは、画家ピーテル・ブリューゲル(1525年-1569年)が描いた、楽しく働いている人々の作品を思い起こさせます。

聖母マリアは作品の中心に大きく描かれ、聖母を生活の中心に置くようキリスト教徒に注意しているかのようです。そして、マリアの手にはコパカバーナの聖母(Our Lady of Copacabana)の彫像があり、絵に描かれた光景はまるでコチャルカスの聖母祭りのようです。

言い伝えによると、コチャルカスに住むあるキリスト教徒は、怪我を治療してもらおうと、イエズス会の援助人の案内により、チチカカ湖畔のコパカバーナ聖母教会へ向かいました。しかし、そこへ向かっている道中、すべての症状が消えたのです。このことをきっかけに彼は残りの人生を聖母にささげることを誓い、そして、イエズス会の修道者たちとともに小型のコパカバーナの聖母像をこの教会に安置したのです。

人類共通の経験から創作された芸術作品は、時間を超えて、場所を超えて我々に語りかけています。いつの時代に生まれようと、世界のどの場所に生まれようと、素晴らしい芸術作品を見た瞬間に受けた感銘や悟ったことはみな同じで、1枚の芸術作品で世界中の人々がつながるのです。

(完)

 

(翻訳編集 華山律)

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