イタリア北部からの影響
芸術の進歩の軌跡は各時代の作品から発見できます。イタリア北部で、人物をきわめて正確に表現している作品を発見しました。早くも1220年頃から、ドイツのバンベルク大聖堂の中の「バンベルクの騎士」という彫刻は、実物大で、人体や馬の対比バランスも正確で、騎士が着ている服の彫刻も巧みで、馬の筋肉の様子も力強く表現されています。
油絵の技術は北欧諸国が起源で、ベルギーのヤン・ファン・エイクの写実への希求により発展しました。15世紀初めの頃、ファン・エイクは同時代のフランドルの画家たちと、前代未聞の絵画技術を披露し、この点は、金属やガラス、羽毛、コットン、シルクなどの質感の詳細な表現からも分かります。彼らの画風はゴシック芸術後期の作品から影響を受けています。
しかし、これらのフランドルの芸術家たちがイタリアのルネサンスに重要な影響をもたらしたとは認識されておらず、その上、19世紀以降、芸術家たちは「初期フランドル派」という単語自体に対して、偏見を持っているのです。しかし、ファン・エイクの「ヘントの祭壇画」を見れば、その壮絶さに思わず感動するでしょう。
では、ルネサンスが暗黒の中世に勝利したという言い方は一体どこから来たのでしょうか?その答えを見つけるには、まず「ルネサンス」という一語の語源をはっきりさせなければなりません。
「ルネサンス(Renaissance)」の語源
Rinascitaを最初に使ったのは、美術史上、最初の評論家であり、画家でもあるジョルジョ・ヴァザーリ(Giorgio Vasari 1511-1574)だと言われており、これは『Le Vite de Piu Eccellenti Architetti, Pittori, Et Scultori Italiani』(画家・彫刻家・建築家列伝)から見つかっています。ヴァザーリは多くの巨匠の生涯と作品などに関する貴重な情報に触れましたが、その記述に関して、すべて正しいとは思えません。
特に、ルネサンスの誕生に関するヴァザーリの記述は多くの人に疑われています。彼は序言の中で、滅びたローマ帝国とルネサンスが誕生する前の全てを、怪物、野蛮、変異などと言った言葉で表現し、当時の世界を完全に否定しました。ヴァザーリはゲルマン人がどのようにしてローマ帝国を滅亡させたか、キリスト教がどのようにして長い血みどろの闘争を経て、異教徒を取り除いたかをまとめ、そして、ギリシャ哲学がイタリアで生まれ変わり、芸術を称えられるべき新たな高みにまで押し上げたと提唱しています。
今日の歴史学者や考古学者たちは、当時は、別の素晴らしいものを目立たせるために、実際の多くの出来事を故意に風刺していたことを理解しているのです。
(つづく)
(翻訳編集・天野秀)
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