私たち日本人は、なんとも「不思議な国民」のようです。
クリスマスやバレンタインデーの前には、それに便乗した商業活動が盛大に行われるのに、釈迦生誕のお祝いである灌仏会(かんぶつえ)に、ほとんどそうした社会の賑わいが見られないのは、なぜでしょうか。
厳密に言えば、「その日」に該当するとされるグレゴリオ暦の4月8日が、本当にお釈迦さま、つまり歴史上に実在するゴータマ・シッダールタの誕生日であるかどうかは、歴史のカーテンに閉ざされて明確ではありません。
ただ、ともかく「仏教の開祖の誕生日」としてそう決められています。
ならば、キリスト教のクリスマスと同じくらい重要な扱いがなされても良いと思うのですが、昔はともかく、現代の日本では、その日の存在さえ忘れられているように見えてなりません。
日本では、もとより国教は定められておらず、信仰はその有無もふくめて個人の自由です。
ただ、奈良や京都の古刹を見る限り、一応は、日本も東洋世界の「仏教国」の一つであると思われます。
「一応は」という、やや心もとない書き方になってしまうのは、例えば2018年のNHK調査による「日本の宗教」によると、仏教31%、神道3%、キリスト教1%、その他1%、無回答2%であったのに対し、「信仰する宗教なし」の回答が62%となっているからです。
これでは、本当に仏教国であるタイやミャンマーの人に対して、胸を張って「日本も仏教国です」とは言いにくいのが現状です。
日本人は、おそらく無意識における信仰心はあるのですが、それをことさら表明しませんので、先の調査の答えである「無宗教62%」は日本人の民族性の結果のようにも思えます。
いずれにしても、この一点だけを拡大視して、「日本人は本当に無宗教、無信仰なのか?」と目をむくことは避けるべきでしょう。
確かに、どこか外国の空港で、入国時の審査用紙に「No religion(無宗教)」と記入する日本人について、一部の外国人(例えば一神教であるキリスト教圏の人)からすれば「人間として、何か欠陥があるのではないか」と、心のどこかで思われるかもしれません。
新渡戸稲造の『武士道』にもある通り、日本人は、とくに宗教の経典に頼らなくても、日常生活における社会秩序や道徳は、武士道に基づく「恥」への忌避、および究極的には切腹にもつながる強力な自己責任感によって保たれています。
その結果、世界でも稀有なほど治安の良い、規範社会を築いてきました。
付言すれば、人間関係の秩序は、主として儒教的倫理からその精髄を吸収してきました。
それが功を奏して、津波や地震などの大災害が起きて社会インフラが完全に麻痺しても、日本では略奪や暴動が全く起きなかったのです。
日本人には当然のことですが、海外ではこれに驚嘆の声が上がりました。
その理由について、海外メディアに「Why?」と聞かれたら、「日本人は、非常時だからこそ、男も女もサムライになるのです」と答えれば、大方よかろうと思います。
一方、「悪業には仏罰がくだる」という仏教的な訓戒は、日本人の意識の中にないわけではありませんが、今日の日常生活のなかでは、あまり即効的な機能を果たしていないかも知れません。
むしろ、大人が頭上の太陽を指して「お天道様が見ているぞ!」と大喝したほうが明確であり、悪童の矯正には効き目があると言えるでしょう。
では、日本における仏教の功績は、どういうものだったでしょうか。
あまりに大まかすぎる概括ですが、中古および中世においては、高級貴族から庶民に至るまでが(現世の苦しみは変えようがないので)死後に極楽浄土へ往生することを夢見て、ひたすら阿弥陀仏の救済を求めました。
江戸期の近世から近代にかけては、檀家制度の確立が進みます。
つづく現代では、葬儀や法事というセレモニーに特化された「産業」としての位置づけで、その是非はともかく、日本社会のなかに仏教は安定的に存在しているように見えます。
お布施やお賽銭に、税金はかかりません。
人の死後、仏弟子になるための戒名に決まった「値段」があるのは、いささか首を傾げたい気もしますが、なにしろ「産業」ですので、そういうものかなと思えば合点できないことはありません。
ただ、森林のなかを犀(さい)の角のように進みながら、弟子を連れて苦行し、衆生済度に全霊を傾注した釈迦牟尼の本来の姿からすれば、釈迦生誕から2646年を経た日本仏教の風景は、ずいぶん隔たってしまったようにも思います。
もちろん日本にも、誠実で真摯な宗教家は多数いました。
読者それぞれのご宗旨があると思われますので、個別に挙げることは避けますが、その誠実さゆえに極限まで自己を苦行に追い込み、生死の境ぎりぎりで悟りを開いた人々が、例えば、鎌倉新仏教を創立するという日本独自のプロセスがありました。
大乗仏教とは、救うべき衆生を載せるための「乗り物が大きい」ことを指します。
ある人が、そうした万民済度の答えを究極的に求めた結果、「出家せずとも、誰でも普通の生活をしながら往生できる」という悟りに至ります。さらにこの人物は、悪人正機を説き、戒律を排して開祖みずから公然と妻帯することもしました。
外国の仏教徒からすれば、こうした日本独自の動きは、腰を抜かすほどの破戒です。
しかし、そのことが、日本では誠に純朴な在家信者を多数生みました。
歴史のある時期において、為政者である織田信長やその他の大名は、死を恐れぬほど結束の固いこの宗門の平定には、非常に手こずりました。
ただ戦乱ではない平時において、日本全国の田畑に「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えながら黙々と働く、篤実な農民が根付いたことは、この民族がもつ勤勉性の骨格になった要因の一つと考えて良いかと思います。
なお、同じ鎌倉新仏教のなかにある禅の教えは、南宋の中国禅が日本に伝わったものですが、修行の厳しさが壮絶であるため、民衆が誰でも実践できるような民間宗教にはなりませんでした。
その代わり、日本における禅は、剣術を錬磨する武士に愛好されるとともに、日本の仏教美術および仏教建築の発展に絶大な功績を遺すという、巨大な副産物を生んでいます。
2022年4月10日、天気がよい日曜日のこの日、東京の築地本願寺では灌仏会を祝う「花まつり」が行われました。
かわいらしい衣装を着けた稚児のパレードも、沿道の注目を集めました。
釈迦の生母であるマヤ夫人が就寝中、天から白い象が胎内に降りてきて懐妊します。
その子、釈迦が誕生したとき、天が甘露の雨を降らせて祝うとともに、生まれたばかりの釈迦は7歩あるき、左右の指で天地を指さして「天上天下唯我独尊」を唱えたと言い伝えられています。
築地本願寺の境内でも行われていた、小さな柄杓(ひしゃく)で仏像に甘茶をかける仕草は、釈迦の誕生場面の再現です。
そうしたことさえも、体験を通じて子供たちにきちんと伝えなければ、もはやこの文化は、「仏教国」であるはずの日本で途絶えてしまう危うさを含んでいるかもしれません。
ともあれ、現状がいかに世俗化したものであっても、仏教という穏健な宗教が日本に存在することは、現代の私たちも喜びとして良いように思います。
(鳥飼聡)
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