西洋音楽史に大きな足跡を刻む ピアノの歴史 (3)
1904年、ドイツ人のヴェルテという人物が、どんなピアニストの演奏でも鮮明に記録できる、ピアノ・ロールを発明しました。そのためこの自動ピアノは「ピアノラ」と呼ばれ、当時のおしゃれなピアノになったのです。これは音楽史のターニングポイントで、リサイタルでは、目に見えない人間が驚くべき速さで自動的に鍵盤を叩くようになりました。
観客は演奏者を見ることができず、まるでピアノの巨匠、リストの幽霊がそこで演奏しているかのようでした。しかし一斉を風靡した自動ピアノもだんだん衰退の道を歩み始めました。というのも技術が進歩し、蓄音機、ラジオが現れ、蓄音機には勝ったのですが、ラジオには負けてしまいました。20世紀前半の50年間は、ラジオのハイファイ(高忠実度)がすべての録音製品を上回っていました。
19世紀のピアノ製造は、18世紀の一つの技術から産業に発展しました。基音(ピッチ)がモーツァルト時代の412ヘルツから435ヘルツに向上し、ピアノのフレームやハンマーや弦も、以前より頑丈になり、ピアノの黄金時代が到来しました。
第一次世界大戦になると、ピアノの製造は大きく変わりました。大規模な組み立て方式で生産されたアップライトピアノは、手作業で生産されたグランドピアノの半分の価格で、広く市場に受け入れられました。
ピアノは蓄音機やラジオが登場する前に全盛期を迎え、家庭の主な娯楽道具となりました。19世紀半ばにピアノ演奏会は上流社会の最も重要な娯楽の一つに発展し、紳士やセレブリティが集まり、演奏ホールは社交場と化していました。
ドイツ人のピアノ製作の業績は比類がないものです。1836年に創業したスタインウェイ&サンズ社は、世界で唯一、ピアノブランドの代名詞ともいえる企業です。1865年から1885年までの20年間にスタインウェイが行った革新は40以上にも及び、スタインウェイの成果を世界中が享受しています。
戦後、アメリカで生産されたスタインウェイは、ヨーロッパで生産されたものとは少し風格が異なり、前者のほうが華やかで、かつぎこちないものでした。近代のスタインウェイは、戦前の重厚で明るいトーンを残したものが多く、その特性はベヒシュタインに近いものです。
ベヒシュタイン社は1853年に創立され、ピアノの世界では誰もが認めるドイツの有力企業です。技術的に革新的で、ビジネスにも敏感です。多くの著名な芸術家、作家にとって欠くことのできない存在です。またヨーロッパの多くの王室に納入している主な供給者でもあり、このブランドの魅力には勝てないのではないでしょうか。
また1853年にライプツィヒで誕生したブリュートナー社はチェンバロにもう一本のアリコート(共鳴弦)と呼ばれる弦を取り付けて、ピアノの音色の発展に貢献しました。この共鳴弦は弾かれることなく右の弦の音質と音量を向上させます。その独創的な想像力が、他のライバルたちに比べて、ピアノの音を力強く響かせていました。
日本のピアノメーカー、ヤマハのコンサートグランドピアノは1902年から製造を開始しました。以降、その品質は着実に向上し、評判は高まり、現在では世界有数のクラシックピアノメーカーの一つになっています。
(つづく)
(翻訳・源正悟)