ドイツ・ハレにあるヘンデルの記念碑。(Shutterstock)

バロック音楽の巨人ヘンデル (上)

バロック音楽の代表的な人物であるヘンデルは、バッハと同い年で1カ月ほど年上である。故郷はバッハの生誕地アイゼナハから165キロしか離れていないザクセン=アンハルト州のハレだったが、二人は一度も会うことはなかったという。

バッハはライプツィヒの教会で宗教的なポリフォニー(多声音楽)に専念し、ヘンデルはロンドンの劇場で世俗的なホモフォニー(和製音楽)を演奏した。バッハは子だくさんで貧しい生活を送ったが、ヘンデルは名声が高く、生涯独身であった。二人の境遇は全く違うが、結局最後は同じような音楽創作をしていたのである。

ロイヤルファミリーの祝福

18歳の時、ヘンデルは理容師の父の希望に従い、大学で法律を学んだが、彼の心は音楽を創ることに向いていた。彼のオペラは成功し、十分な資金を得た彼は、オペラの王国イタリアに留学することになる。 そして30歳になる前に人気の作曲家となった。ヘンデルは英国に渡って、アン女王とジョージ1世に認められ、宮廷楽長に任命され、英国に帰化することになった。

国王の戴冠式や祝賀会では、オーケストラを指揮し、「水上の音楽」と「王宮の花火」を華麗に演奏した。宮廷音楽だけでなく、オペラも数多く作曲した。ジョージ1世と王妃は、新しい作品が上演されるときには必ず劇場に足を運んでいた。 

ヘンデルはイタリア・オペラの才能ある人材を多く招き、華やかな「アリア」や、カストラート(少年の声域を保つために去勢した男性)による高速ビブラートのアドリブには目を見張るものがあり、引っ張りだこだった。この頃がヘンデルの名声と収入の絶頂期であった。

どん底まで落ちて、生き返る

ピークが過ぎるとイギリス人は次第に、イタリア語のオペラに嫌気がさした。1727年にジョージ1世が亡くなると、ヘンデルは強力なファンを失い、彼が経営しているオペラハウスも倒産しそうになった。 

台詞と通俗メロディーで構成された英語の風刺劇『乞食オペラ』は、146回公演の大ヒットを記録しており、イタリア・オペラでスタートしたヘンデルは、かつてないほどの打撃を受け、観客にアピールしようとしたいくつかのオペラは失敗に終わった。

借金、嘲笑、内憂外患で会社は解散に追い込まれた。さらに、ヘンデルは突然の脳梗塞で半身不随になってしまった。音楽活動の終焉が近いと思われた。

数カ月のスパでの治療の後、57歳になったヘンデルは奇跡的に自分の足で歩けるようになり、彼はこれを神からの贈り物だと考えた。この間、友人から送られてきたイエスの誕生、受難、復活の過程を描いた神劇(聖書の物語をもとにした劇)『メサイア』を読み、心が浄化され、神への感謝と賛美を『メサイア』の音符に込めたいという強い意欲が芽生えた。

(翻訳・源正悟)

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