世界中のピラミッド(67)マヤ人と中国人の関係
ある学者は、マヤ人にはモンゴル人の血統と黄色人種の血統があることはすでに確認され、最初にこの説を提唱したのはメキシコの学者だといいます。大昔、モンゴル人は寒冷な気候によって大移動し、シベリアからベーリング海峡を経て北アメリカへと向かい、その後、南アメリカに移りました。
歴史学者ハーバート・ハーリングによると、約3万年前の氷河期末期には、気温が上昇していくにつれ、動物は北の方へと移動し始め、シベリアにいたモンゴル人たちは動物を狩るため北の方へと移っていき、シベリアからアラスカを経て、アメリカ大陸に入ったといいます。現在、ペルーの歴史博物館にモンゴル人の移動に関する歴史的記載が保存されています。
マヤ文明の源がアジアからきているという手掛かりは多く残されており、中でも、マヤ語の発音が中国の漢民族の言語の発音と極めて似ていることも、学者たちの間で注目されています。
アメリカ大陸の先住民たちの繁栄により、いくつもの文化期が生まれましたが、文字を持った民族は極めて少なく、マヤ人がそのうちの一つです。マヤ文字は極めて複雑な構造となっており、紀元後(西暦)初期の頃、マヤ人は独自の文字を創り出しました。書字方向は左から右へという流れで、満州文字やモンゴル文字と同様の図形文字です。一文字一文字が非常に複雑で、異なる図形の組み合わせにより、異なった意味を示します。
マヤ文字の不思議なところは、象形もあれば、会意もあり、そして、形声も交じっているため、多機能文字を形成しています。現在、解明されたマヤ文字は全体の4分の1程度で、残りの大半はまだ謎のままです。
後に、ヨーロッパ人による南アメリカへの侵入により、マヤ文字の記録のほとんどが破壊されました。マヤ語圏の人口は、21世紀初頭では700万人と推定されていますが、マヤ語の他にも、20もの言語が話され、それらの文化にも影響されているため、完全なマヤ文明は残念ながら、すでに消滅しました。
古代のマヤ人は中国人と同様、玉器を使用していました。台湾の考古学者、魏衆賢氏は生涯をアメリカ大陸の研究に費やし、著書の中で詳細な証拠を挙げて、アメリカ大陸の16もの異なる器から、70余りの中国古代文字が発見され、また、中国独自の古代模様が刻み込まれた器や、特有な古物などがアメリカ大陸の遺跡から発見されたといいます。
さらに驚くべきことに、1865年、ペルーの学者グアキ(Corde de Gugui)氏はペルー北部の山の中である文物を発掘しました。なんと、その銀製の神像には「武当山」の3文字が刻み込まれていたのです。
同年、グアキ氏は銅製の女神像を発掘し、その女神像は古代中国式の髪形をしており、そして、銅像には「或南田井」の4文字が刻み込まれていました。ドイツの考古学者は、この出土品は中国のもので、数千年の歴史を持つと証言しています。
(つづく)
――正見ネットより転載
(作者・意文/翻訳編集・天野秀)