The Kite Runner 「君のためなら千回でも」
映画『君のためなら千回でも』(The Kite Runner)はアフガニスタン出身の小説家・カーレド・ホッセイニ氏が書いた小説で、2007年に映画化されました。
これは愛と裏切り、恐怖と罪悪感、後悔と救いに関する物語です。裕福な家庭に生まれた12歳のアミールは召使いの息子ハッサンと仲良しでした。1975年、2人は凧合戦に参加し、見事勝利を収めました。しかし、その後、ハッサンは凧を守るためにいじめられ、それを見かけたアミールは臆病にも救いの手を差し伸べずにその場から逃げてしまいました。
2人の友情を裏切ったアミールはハッサンと目を合わせられず、その上、ありもしない罪を言い立ててハッサンを陥れ、家から追い出しました。間もなく、1979年にソ連によるアフガニスタン侵攻が始まり、アミールは父と共にアメリカへと亡命しました。しかし、ハッサンに関する記憶がずっとアミールを苦しめ続け、罪悪感を背負ったまま成長していきました。
人は誰しも必ず弱点があります。父親はアミールの臆病さを心配していました。
「自分すら守れない男の子が、大人になっても何も守れない」
戦乱の中で逃亡している時、アミールの父はソ連兵に侮辱された女性たちを守るため、身を乗り出しました。「例え千回撃たれても、決してこのような下劣な行為をさせない!」正々堂々とした父の言葉にアミールは心を強く打たれました。
ババとアミールがアフガニスタンを離れてから長い時間が経ち、ハッサンは殺人事件に巻き込まれ妻と共に命を落としました。ある日アミールは友人が不幸で亡くなり、唯一、ハッサンの息子・ソーラブだけは生き残り、孤児院に入ったと聞かされました。
また字の読み書きができなかったハッサンは手紙を父の友人に残しており、彼が懸命に書き残した手紙を読んだアミールはハッサンが実はババの息子である事を知ります。アミールは命を失った友人のために最後に何かをしたい、罪を償おうと、再び紛争が続く、故郷アフガンの地に足を踏み入れました。
アミールはアフガンでハッサンの息子のソーラブを助けるためにひどく殴打された時、長い間、彼は初めて安らぎを感じました。体がどんなに痛くても、どんなにみじめでも、アミールは当たり前のことをし、自分の臆病さに勝ち、すると、長年、自分を苦しめていたものがスーと消えてなくなり、ついに心が癒されました。
その後アメリカへ戻り、アミールはソーラブと一緒に凧を放っている時、「君のためなら、千回でも!」と、昔ハッサンに言われたこの言葉を口にしました。その瞬間、アミールは悪夢から目覚め、自分を救うことができました。空を自由に泳ぐ凧は、自身の生まれ変わりを象徴しているようでした。
人生の中で、誰もが意識的に、あるいは無意識のうちに必ず他人を傷つけたことがあります。しかし、肝心なのは自分の言動を反省できるかどうか、心の中から懺悔し、償いたいと思えるかどうかなのです。自分の弱点を克服し、できる限りのことをして、償うのです。
「勇気」という言葉は誰にでも書けるし、簡単に口にすることができますが、しかし、実際に行動に移すことはとても難しく、一生できない人もいるかもしれません。
(作者 沈静/翻訳編集 天野秀)