19世紀の「アカデミック美術」に反対したり、批判したりする芸術家の主張をよく耳にします。まるでアカデミック美術が、束縛感が強く、古いルールに縛られていて、陳腐で時代遅れであるかのようです。しかし、「アカデミック」という言葉には、「学術的」「権威的」なイメージもあります。一体、アカデミック美術とはどういうものなのでしょうか?
「アカデミック美術」という言葉は、1563年、ジョルジョ・ヴァザーリがフィレンツェに創立した「アカデミア・デッレ・アルティ・デル・ディゼーニョ」(現フィレンツェ美術学校 )に由来しています。その目的は美術界の人材を育成することでした。
後に、ヨーロッパの各国がこれに倣い、相次いでアカデミーを創立し、中でもフランスが最も力を入れていました。特に、ルイ14世やナポレオンなどの君主による大々的な支持の下、フランスの美術アカデミーから数々の人材が生まれ、それらのアーティストたちはフランスの芸術に大きな貢献をしました。これにより、アカデミック美術は正規の美術教育を受けた人による正統派美術として認識され、「公的に認められた正統的な美術」という最高の栄誉を象徴するようになったのです。
アカデミーの芸術理念は理性的な基準を遵守しなければならないというもので、遠近法や人体の比例、幾何学の構造、正確性、明暗の表現などが、基本的な授業や技術訓練に組み込まれていました。
アカデミック美術は正確な写実技法と古典的様式を重視しながら、正統性のある宗教や神話、歴史物語など、人々の道徳観を正す題材を取り上げ、正統な価値観に沿った社会教育的な役割を担っています。そのため、アカデミック美術の作品は完全で精緻な技術が駆使され、そこからは雄大なスケールや風格も伺えます。
19世紀になると、様々な文芸思潮の中で、こうした美術アカデミーも新たな風を取り入れるようになりました。しかし、古典主義の巨匠に続き、ロマン主義で理想美を重視した画家を受け入れるようになると、陳腐であると非難されたり、反抗されたりしました。
当時のアカデミーの芸術家たちの作品は古典的で、その題材と形式はきっちりしたものでした。美術展(サロン)の開催を主導した芸術家たちは、ロマン主義という時代の流行に追いつけず、自分たちと異なった芸術表現と価値観を持った芸術家たちを批判していました。
例えば、写実主義と印象派画家たちの作品はよくサロンに拒まれており、ロマン派の芸術家たちはアカデミーを古臭い敵対勢力であると見なし、その時から、「アカデミック美術」という言葉に貶す意味が含まれるようになったのです。
19世紀末、印象派の出現により、現代美術が到来し、個人的な観念と道徳水準の下落により、芸術における価値観が更に曖昧になりました。一部の画家は依然とアカデミーの伝統性を堅持し、理性的な新古典主義と感情的なロマン主義を融合して、理想的な美を目指しました。
現在、「アカデミック美術」と聞くと、耽美的な絵画というイメージが強いですが、実は、これは19世紀に入ってからのことで、それ以前は写実主義と古典的様式を重視し、正統的な美術を象徴する言葉でした。
近年、現代の芸術から失われた古典的様式が徐々に復興し始め、基礎技術の訓練も重視され始めました。実際、本来のアカデミック美術はルネサンス期の正統性のある美術を継承し、完璧な技法と内面の修養を重んじているのです。
(翻訳編集・天野秀)
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