鑑真にも認められていた 聖徳太子の前世は慧思禅師か?(1)
千年前はインターネットがなく、日本と中国の間で簡単な情報を一つ伝達するためにも、風と波に乗って広大な海を越えなければなりませんでした。 しかし、日中両国は中国の六朝末の慧思禅師に対して、驚くほど一致している記録を残しています。
『唐大和上東征伝』は、唐僧、鑑真の渡日伝記を研究する際に、最も詳細で原始的な歴史資料であり、揚州の大明寺で鑑真の話の一部も記録されています。鑑真は、「昔、南岳の慧思禅師が遷化した後、仏法を興すために日本の王子に生まれ変わった」と言いました。この日本の王子が聖徳太子だといいます。
聖徳太子は顔立ちが凛々しく、慈愛に満ち、国を統治する能力にも優れていました。彼は仏法を研究し、儒学の古典もたくさん学びました。604年、聖徳太子は中原文化における仏と道、および儒学から道徳的な教えを取り入れ、『憲法十七条』を定めました。この憲法の内容は、現在の日本文化の礎として知られています。
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