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世界十大「ちょっと危ない建築」懸空寺の千古の謎

山西省恒山にある懸空寺は、その名の通り「空に懸る寺」です。断崖絶壁の中腹に、1500年の風雪に耐えて今日に至っています。

2010年12月、米国の雑誌『TIME』が選んだ世界十大「最も危険な建築物」のなかに、山西恒山にある懸空寺(けんくうじ)が入選しました。

懸空寺は中国山西省大同市、渾源県北岳恒山の金龍峡にあります。

この寺は、今から約1500年前の北魏(ほくぎ386~534)末期に建立され、後につづく後金(こうきん)、元、明、清の歴代王朝によって継承されてきました。現存する建物は、明代から清代にかけて修繕されたものです。

いかがでしょう、この迫力。建築構造からしても、その大胆さ、発想の奇抜さには感嘆せざるを得ません。

懸空寺には大小の殿楼が40軒あり、それぞれの楼閣は細い桟道でつながっています。ここを訪れた旅人が桟道に足を踏み入れると、期せずして踵を上げ、息を止めて板の上を慎重に踏みます。うっかり踏み外すと、崖下へ真っ逆さまに落ちてしまう恐怖感にかられるのです。

しかし、「ギシギシ」という足元の不気味な音にもかかわらず、岩に立てた基盤の土台は意外と動かないものです。

険しい山で、斧で切り割ったような断崖が100 mもの高さで落ちており、その中腹のわずかにへこんでいる場所を利用して、絶壁の途中に建てられているのがこの懸空寺です。

唐の開元23年(735)、この寺を訪れた大詩人・李白は、石崖に「壮観」と書き記しました。また明代に、中国全土に足跡を残した大旅行家・徐霞客(徐宏祖)は、懸空寺を「為天下巨観(天下の巨観たり)」と呼んでいます。

建立以来1500年の間に、懸空寺は毎年の風雪以外にも、何度も大きな地震に見舞われています。20年前にはマグニチュード6.1の大地震が発生しましたが、破壊されることはありませんでした。それにしても、このような特殊な場所にある建物が、地震や、崖上からの落石に耐えられるものなのでしょうか。

太古の昔、懸空寺があった場所は二つの山に囲まれた峡谷で、真ん中が川の水に浸食されて「天然の溝」を形成していたのです。そこで、もしも崖上から落石があっても真下には落ちず、大きな放物線を描いて落下しますので、さいわい寺の建物を直撃することはなかったのです。

また、純粋な木造建築である懸空寺は、弾性に富む「ほぞ接ぎ」という非常に精巧な耐震技術で造られており、地震による揺れをしなやかに吸収することができます。このような構造上の特性が、天変地異の中でもこの貴重な寺院が生き残った主な要因と言えます。

実は、この立柱は後世の人が付けた飾り物で、実際に懸空寺を支えているのは建物の下に、山へ向けて打ち込まれた27本の梁です。

地元の人に「鉄の天びん棒」と呼ばれるこの横木は、地元特産の「鉄杉」という強靭な杉材を加工した四角い梁で、山の岩肌に深く入り込んでいるのです。

27本の梁は、山肌に打ち込む際に、口を割って三角の楔(くさび)を入れます。

これによって梁はしっかり固定され、いくら振っても山肌から抜けません。

しかも、この木の梁はすべて桐油に漬けたもので、シロアリに喰われる恐れがなく、防腐作用もあるそうです。一本一本の梁が山に固定され、山と一体化して非常に頑丈になっているわけです。

しかし、1500年前の人々に、現代のような高度な機械があるわけではありません。

一体どのようにして岩壁に、梁を指し込む深い穴を穿ったのでしょうか。しかもこれらの作業は、およそ90メートルの高さの空中で行われたのです。

そうした建築技術の謎を巡っては、現在も様々な推測が行われていますが、未だに明らかになってはいません。今に伝わるこの寺院の姿は、その秀でた芸術性にしても高度な建築技術から見ても、まさしく空を見上げて息をのむほど「千古の謎」を残しています。

(文・李蓮/翻訳編集・鳥飼聡)

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