【佛家物語】生きたまま地獄に落ちた女
唐玄奘はインドで仏法を求めていたとき、祇園精舎という僧院の外に底なしの深い穴が3つあることを発見しました。大雨が降ると、溝や池には水が溜まりますが、深い穴には水が溜まりませんでした。彼は地元の人に聞いてみると、仏陀を傷つけ仏法を破壊した3人の悪人が、生きたまま地獄に落ちたという伝説があることを知りました。
その悪人の一人に「戦遮婆羅門女」という女がいました。お釈迦様が修行して悟った「戒・定・慧」という仏教の教義を説いていた時、お釈迦様が正しい法を説いているということで、お釈迦様の周りに集まって教えを聞こうとする善男善女の数が増えていきました。 インドではバラモン教が深く根付いて力を持っていますが、あまりにも堕落してしまったため、それを信じようとする人が少なくなっています。戦遮婆羅門女は、遠くからお釈迦様の周りに集まった人々が、とても献身的に敬意を払って教えを聞いているのを見ました。 しかし彼女はお釈迦様に敬意を払うどころか、嫉妬して、「今日、釈迦牟尼に恥をかかせて、その名声を失墜させ、我々のバラモン教が支配できるようにしたい」と言いました。
そして、彼女は木のお椀をお腹にくくりつけて祇園精舎にやってきて、人々に向かって大声で「この伝道師は私と姦淫し、私の胎内にいる子は釈迦牟尼の種だ」と宣言しました。これを聞いた人の中に、正しい信仰心に欠けている人々の心が動じました。何人かはささやいたり、何人かは頭を振ってため息をついたり、何人かは言葉を返したり、そして何人かは立ち上がって去っていったりしました。 しかし、信仰心の強い人たちは、それが誹謗中傷であることを知り、如来の教えに耳を傾け続けました。
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