古典の味わい

【古典の味わい】貞観政要 7

貞観2年のこと。帝都長安もふくむ函谷関(かんこくかん)から西の地方に旱(ひでり)が続き、大飢饉となった。太宗は、左右の侍臣に向かって、こう申された。

「水旱(すいかん)が整わないため、この世に洪水や旱魃(かんばつ)が起きるのは、すべて人君(じんくん)が徳を失ったからである。つまり、朕(ちん)が徳を修められないために、このような天災が起きるのであるから、天はまさに、朕ひとりを叱責してほしい。人民に何の罪があって、このようなひどい困窮に遭わねばならないのか」

「人民のなかには、生活苦のあまり息子や娘を売るものがいると聞く。朕はこれを、まことに気の毒だと思う」

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