古典の味わい

【古典の味わい】貞観政要 4

貞観3年のこと。太宗が、側に侍する学者の孔頴達(くようだつ)に、こんなことを問うた。

孔頴達よ。『論語』のなかに「以能問於不能、以多問於寡、有若無、実若虚」とあるが、これは如何なる意味であるか。

「臣、謹んでお答え申し上げます。かつて聖人孔子が、このような教えを設けましたのには、世の人々が謙虚な心をもち、ますます輝くよう願ってのことでございます」

「つまり、自分に能力があっても、それを自慢することがあってはなりません。自分より能力が劣ると思われる相手にも、何か(自分が)学ぶべきところがあるものです。たとえ自分に徳や知性があったとしても(それを表面に出さず)何も無いようにするのです」

「これは決して、庶民に限ったことではございません。帝王が持つべき徳も、またこのようであるべきと存じます」

日本でも広く読まれた『論語』は、もちろん孔子の言行録で、孔子の没後にその弟子たちがまとめた儒教の聖典です。

孔頴達(574~648)は政治家というより純粋な学者ですが、魏徴と同様、しばしば太宗に諫言してその誤りを諌めたので、太宗に信任されるようになります。そうしたところからも、太宗の寛容な人柄がしのばれます。

さて上述の場面で、太宗が孔頴達に『論語』の一節の意味を質問していますが、これは本当に太宗が「意味を知らないから聞いた」のでしょうか。

いや、太宗は当然知っていたでしょう。知っていても(それを表面に出さず)に臣下に聞く、という作法を実践したのです。周囲には、その場面を見ている他の臣下が大勢います。

それは太宗が、孔子32世の孫(自称)である孔頴達を抜き打ちテストしたわけではなく、聖典を深く理解している両者だからできる「ハイレベルの知的会話」と理解すべきです。

(聡)

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