中国建築上の十の奇跡(七) ―京杭大運河
古代中国では、水路が経済発展と文化交流の重要な経路であると同時にその保証であったため、人々は春秋時代の末年には運河の建設を始めました。そして長い歴史の中で、運河は何度も改修されたり、補強されたりなど、ようやく南北の五つの主要な水路を繋げました。中でも、僅かに長江の長さに次ぐ京杭大運河は世界の水運史の前例を開きました。
世界最も古く最も長く人工運河―京杭大運河
京杭大運河は全長1794キロメートルで、中国の東部に位置します。北の北京から、南の杭州まで、南北を結び、北京、天津、河北、山東、江蘇と浙江の四つの省と二つの都市を経由し、海河、黄河、淮河、長江と銭塘江という五つの水路を繋ぎました。
春秋時代の末期に、呉王夫差は晋と戦争するため、紀元前486年に150キロメートルの運河を建設し、長江と淮水河を繋ぎました。隋王朝になって南北が統一された後、洛陽は水運の中心として、河川本流・支流を巧みに繋ぎ、深く浚って、南北の水路を開通しました。また元王朝は首都を大都(現在の北京)に定めた後、洛陽への迂回を避けるため、済州、会通、通恵などでも運河を建設しました。新たに改修された京杭大運河は洛陽を迂回する隋唐大運河より900キロメートル以上短縮することができます。
明の成祖は北京へ遷都した後、南から北へ、穀物の大規模輸送の問題を解決するため、工部尚書・宋礼を命じて、16万人の国民を動員して、済寧から臨清までの元の時代の運河を整備させました。整備した大運河の運送量は、元王朝初期では10万石(1石は約60リットル)未満でしたが、明王朝の中期には最高記録が580万石に達し、そして、清王朝では最高記録が800万石に達したのです。約2000年の間、大運河は中国の経済と文化の発展に重要な役割を果たしました。
京杭大運河は長江に次ぐ2番目の「黄金」の水路であり、スエズ運河(190キロメートル)、パナマ運河(81.3キロメートル)を遥かに超え、世界で最も古く、最も長い古代運河であり、千年以上も前に建設されたものでありながら、世界に誇る優れた水利技術と卓越した成果を現代の私たちに示しています。
(作者・羅瓊/翻訳編集・千里)