聖母子像(ディルク・ボウツ 1410-1475年頃/Metropolitan Museum of Art via Wikimedia Commons/public domain)
聖母子像(ディルク・ボウツ 1410-1475年頃/Metropolitan Museum of Art via Wikimedia Commons/public domain)
<オピニオン>

醜悪を追及する現代芸術

パンデミックによる世界的な混乱が続いているが、昔の生活と比べれば、我々は遥かに恵まれている。人間は常に「完璧な世界」を求めて現状を評価しがちだが、そんな世界はこれまでにも、そしてこれからも決して存在しない。

先日、私はコペンハーゲンにあるアートギャラリーの広告を見て衝撃を受けた。展覧会のタイトルは「Mother!」(母親)で、母性をテーマとする作品が並んでいる。ここでは、妊娠して静脈瘤になった母親の切断された足が何本もぶら下がっている作品については言及しない。私が注目したのは2枚の絵画である。

ひとつはディルク・ボウツ(1410~1475年頃)の『聖母子像』で、もうひとつはアリス・ニール(1900~1984年)の『ジニーとエリザベス』である。この2人の画家を隔てた500年は、乳幼児の生存率や生活水準が飛躍的に向上した時期である。

ボウツの時代は、我々の想像を超えるほどの苦労が日常だった。裕福な人も、いつ病気や怪我で苦しみに直面するか分からない。現代医療では当たり前の救急措置などなかったし、おそらく12人に1人の女性は出産で亡くなっていた。一方、ニールの時代(1975年)の妊産婦死亡率は、それ以前の1000分の1程度に減少している。

興味深いのは、過酷な環境であるにも関わらず、ボウツの描く母子が穏やかさと優しさに満ちていることである。対照的に、ニールの絵は暗く悲観的で、見る者に深い不安を感じさせる。もし誰かが現実世界で『ジニーとエリザベス』に会ったら、医者かソーシャルワーカーか、あるいは警察を呼ぶべきかと思い悩むことだろう。

私はニールを批判しているわけではない。ニールの絵は間違いなく表現主義的な力強さを持っている。絵の中の母親は世話に追われ、おそらく産後うつなどの精神病に苦しんでいるのだろう。笑顔のない赤ん坊は、夜泣きとオムツ替えで母親を疲弊させていることが想像できる。

ボウツが『聖母子像』を優しく描いたのは宗教上の理由だけではなく、厳しく過酷な日常という現実から離れ、心に平安をもたらす絵を必要としていたからかもしれない。

一方、現代の芸術家、特に有名な芸術家の多くは美しいものを避け、不穏なものを求めているようだ。彼らが描く世界は恐ろしく現実的である。あたかも世界の全てが憎むべき対象であり、優しさを奪った後、残りの残酷さだけが描くに値すると言っているようである。

なぜ彼らは不穏なものを求めるのか。私には、それはある種の防衛手段のように思える。「優しさ」や「愛」などのテーマは嘲笑を受けやすいし、自分が美しいと思うものを率直に表現するのは勇気がいる。

一方、皮肉で冷笑的な表現は、人から批判されることがない。いつも冗談を言っている人は心の内を見せないため、他人から攻撃されないのと同じである。皮肉な芸術家たちは、駄作しか作れない芸術家にも「美」の領域を与えてしまった。醜悪なものは簡単に習得できるし、俗受けすれば芸術と認められるのである。

(文・Theodore Dalrymple/翻訳編集・郭丹丹)


執筆者:セオドア・ダーリンプル

雑誌City Journal of New York の寄稿編集者で元医師。30本以上の著作がある。最新の本は『Embargo and Other Stories』。

※寄稿文は執筆者の見解を示すものです。

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