学問は外見よりも重要
孔子は、弟子たちそれぞれの能力や性格に合わせ、異なる言い方で様々なことを教えました。『論語』の他に、孔子と弟子たちとの会話録『孔子家語』があります。その中で、現代人にとっても参考になる問答をご紹介します。
学問は外見よりも重要である
ある時、孔子は息子の伯魚に言った。
「人間が四六時中取り組むことができ、なおかつ続けていても飽きることのないものは学問をすることだけであろう。例えばこういう人がいたとしよう。顔立ちはいたって普通であり、力持ちで武勇であるというわけでもない。高貴な家柄の出でもなく父祖の代に優れた功績を残したこともない。しかしこのような人が天下にその名を知らしめ、竹簡に記され後世まで伝わるのはなぜか。それは、彼が学問に長け教養があるからだ」
子路は本当に親孝行な人である
子路は孔子の弟子であり、「孔門十哲」の一人とされ勇敢で率直な人であった。
ある日、彼は孔子に言った。「重い荷物を背負って遠出をする人は、好みで休憩地を選ばないでしょう。両親が高齢で家が貧しい人は、俸禄にけちをつけずどんな仕事でもするでしょう。私の両親がまだこの世にいたときは貧しかったので、山菜を取って飢えをしのぎ、しばしば百里もの長い道のりを歩いて米を持ち帰ったものです。両親が亡くなってからは南の楚国に行き、官職に就きました。外出するときは付き添いの車が百台に上り、家の倉庫には食べきれないほどの食料があります。座席は敷物を重ねて柔らかくし、食卓には肉と魚が上がるようになりました。しかし、今となってはもう両親と共に山菜を食べ、彼らのために米を運ぶことができなくなってしまったのです」
孔子は言った。「両親が生きているときは心を尽くして親孝行をし、両親が亡くなってからも絶えず思いを偲ばせる子路は、本当に親孝行な人である」
君子との一期一会
春秋時代の中国には郯(たん)国という小さな国があった。孔子は郯国で程子に会い、車を止めて大いに談笑した。そこで孔子は程子に絹を一反贈るよう子路に言った。しかし子路は納得せず、「私が聞くところでは、君子の面会が他人の紹介によるものでないときや、女性の結婚が仲人によるものでない時は、贈り物をする必要はないはずです」
しばらくして、孔子はもう一度絹を贈るようにと言ったが、子路は動かなかった。孔子は言った。「子路、あなたは詩経を読んだことがないのか。『道行くときに不意に美しい女性に出会い一生の願いがかなったようだ』。程子は天下で名の知られた君子であり、いま贈り物をしなければもうお目にかかることはないだろう。つべこべ言わずに早く絹を持って来なさい」と言った。
(翻訳編集・文亮)