【党文化の解体】第1章(5)「共産主義指導者の偉大さを宣伝する」

4.共産主義指導者の偉大さを宣伝する

 無神論と唯物論という党文化の二大基礎理論を確立した後、全面的に神伝文化を否定することを通して、党文化の体系は「万事を備え、ただ東風を欠くだけ」となった。民衆の信仰が空白状態となったため、共産党は自らの「神」を創りだし、民衆の思想中に注入して、その空白を埋めなければならなかった。まさに、この種の神を創り上げる運動を通して、共産党という政教合一の邪教組織体系が全て完成し、「画“神”点睛」の後、天に反し、地に反し、人間性に反する党文化がついにできあがり、この世に災いをもたらすようになったのである。

 中国の歴史上で、「黄巾軍」「「太平天国」のような部類の政教合一の政権が出現したことはあっても、これらの政権は皆、中国を統一することはなかったし、自分たちの教理を他の組職にまで普及させることもなかった。ところが、中共は唯一、全国的に政権を奪取し、同時に暴力的手段によって、人々に自らの教理を強要する「政教合一」の組職となった。その教主は、まさしく各時期における中共の最高権力者であった。「偉大なる領袖、毛首席」の後、さらに二年間は「聡明なる領袖、華(国鋒)主席」の時期があった。神として永久に崇める語彙が、共産邪教教主を飾るのに用いられた。このため、相次いで「革命の導き手」とよばれたマルクス、エンゲルス、レーニン、毛沢東は、当然のごとく神格化される対象になった。彼らは、「解放者」あるいは「救世主」と讃えられて、神の祭壇に祀り上げられたのである。

 神は、全知全能にして過ちを犯すことはない。中共は神を創り上げる過程でも、自分たちは「偉大で正しい」というイメージを樹立していった。このため、中共の最高指導者は、その地位にある間は、決して過ちを認めることはありえなかった。何故ならば、その権力の合法性の出処が、最高指導者は「一貫して正確」であるというところに由来するからであり、もし一旦過ちを認めたならば、その合法性を喪失してしまうことになるからである。その一方で、人は神ではないので、過ちを犯さないことはない。このようなでたらめはこの時期には不可欠な方法だったのである。

 神を創る上で、超自然的な存在を完全に否定するもう一つの方法が、歴史を捏造することだ。毛沢東を例に挙げると、紅軍の第5次反攻では、包囲討伐の作戦が失敗した後、四所に散らばり逃走したのであったが、この失敗と逃亡を共産党の教科書では、「北上抗日」(※)と宣伝している。明らかに、「9.18 満州事変後」の三か月間に、毛沢東は国難に乗じて井岡山で「中華ソビエト共和国」という分裂国家を立てたのに、西安事変のときには、「蒋介石と手を組んで日本に抵抗した」英雄になった。この種の歴史に対する捏造は、毛沢東を「民族の英雄」に祀り上げた。

 

(イラスト=大紀元)

廬山会議で、彭德懷は毛沢東の左傾した急進と誇張した宣伝に挑戦した。この種の共産党最高指導者に対する挑戦が一旦成功したなら、「神を創り上げる」運動は失敗してしまうわけで、これは、前述のように、中共執政の合法性に直接挑戦する問題であった。このため、毛沢東と周恩来は、彭德懷に対する批判を発動した後、さらに理性を失って「大躍進」を宣伝し、その結果、50年代末から60年代初めまでの人類史上最大の飢饉を招いてしまったのである。

中共はただ文章を通じてだけではなく、演劇、映画、歌曲、音楽などの形式でも神を創り続けた。語録歌、忠字舞という手段で神を創り、「朝に指示を仰ぎ、晩には報告する」ことによって神を創り、鐘や太鼓を鳴らしては「最高指示」を歓迎して神を創った。今日に至っても、中共は相変らず、「反復学習」「深い理解」「実施貫徹」「確実な遂行」のような宣伝を使いながら、江沢民や胡錦涛の「重要な講話」に対応しており、それはすなわち、現指導層に対する造神運動に他ならない。

 無神論の普及は、19世紀の進化論学説(進化論の間違いについては、後に詳述)に由来する。いわゆる「唯物」は、精神的な力を完全に否定するのではなく、人類を超越する一切の存在、すなわち神の存在を否定するものだ。

 これまで信仰経典に由来してき道徳の基準、例えば、東洋の仏教でいう善、道家の真、儒家の「克己」と「和をもって貴しとなす」、モーゼの十戒などが、その根拠を完全に失った。ここにおいて、道徳の基準は、「人」が絶えず変更できる行為の準則へと変わってしまった。

 共産党社会の中で、価値観と道徳に対する解釈の権利は、最高指導者の手中に陥り、中共の価値観に抵触する普遍的な道徳は全て、中共によって偽の道徳、封建制度の残余、プチブル的人間性というレッテルを貼られた。その後中共は道徳を解釈することができる最高の地位に立ち、体裁よく批判と弾圧を進めた。

 中共は「偉大で正しい」ものであるから、一切の党文化は必ずや、この種の「偉大で正しい」ものを讃えるものでなくてはならなかった。しかし一方で、中共はまた累々たる血腥い罪悪に満ちた邪悪至極の邪教組織でもある。道徳の座標を失った状況下で、共産邪教の「偉大で正しい」ことを賛美する文化が、人の道徳をどのように混乱させ、また社会の風紀にどのような劣悪な方向性を与えたのかは、想像に難くない。

 中共の宣伝の中で、マルクスは革命家、哲学者、科学者であるだけでなく、道徳的にも完璧な人とされた。しかし実際の状況は、全くそうではなかった。1843年、貴族の娘イェニーが当時25歳のマルクスに嫁いだ際、下女のレンヒェンを連れて来た。「搾取」に対してずっと極度に嫌悪して憎んでいるかのように装って来たマルクスは、資本家のエンゲルスが「搾取」してきたお金を当然のことのように浪費しただけでなく、下女のレンヒェンには全く手当てを払わなかったばかりか、その肉体までをも貪って、1850年に私生児を産ませた。当時、イェニーはこの事によってマルクスとひどく争った。するとマルクスは、長年の友達で独身であったエンゲルスに目を向けた。彼は、「共産主義者同盟」の名誉のために、エンゲルスに身代わりになるよう頼み、私生児にエンゲルスの姓を取って名前をつけた。そこで、エンゲルスはその子を一労動者の家に養子に出したのである。

 ずっと泣き寝入りするほかなかったエンゲルスは、亡くなる直前に紙皿に次のように書きつけた。喉頭癌を患い、ものが言えなくなっていたからである。「フレディはマルクスの息子だ。ラウラは父親を理想化している」。フレディはマルクスの私生児で、ラウラはマルクスの娘だ。この醜聞は、現在すでにドイツ東部の博物館に展示されている。

 2004年 6月の 『欧州神経学ジャーナル誌(The European Journal of Neurology)』で明らかにされた事実によると、3人のイスラエルの医者たちが歴史資料を参考にして次のような結論を得たという。レーニンは、1917年10月の革命を指導する前に、既に欧州で梅毒に罹り、このために1924年に死亡した。彼らが参考にした歴史資料には、レーニンが治療を受けた欧州とソ連の医師の記録、レーニンの健康状況資料、及び研究者たちが「政治宣伝」と呼ぶ検屍報告書がある。研究者の一人である精神科医師ブラドミール・ラーナー氏は、ニューヨークタイムズの記者に、「もし、レーニンの名を隠して、その症状を伝染病の専門医師に見せなさい。きっと『梅毒』だというでしょう」。

 

(イラスト=大紀元)

中共党員たちは、文化大革命以前にはまるで皆が禁欲主義者のようであったが、毛沢東には間違いなく三人の妻がいた。毛沢東は、楊開慧の生存中に賀子珍を娶り、これと離婚もせずに江青を娶った。1994年、毛沢東の身近で22年間勤務した李志綏は、『毛沢東の主治医回顧録』(邦訳:『毛沢東の私生活』)という本の中で、毛沢東の遊蕩奔放な生活を暴露した。その中で、毛は「いつも女を玩具にしていた」といい、若くてきれいな女たちをたくさん入宮させて、「まるで食卓に料理をあげるように次から次に女を献上させた」と暴露している。

毛沢東の側近は、毛が大飢饉の間に肉を口にしなかったとして、人民たちと苦労を共にしたと宣伝した。しかし実際は、毛は大飢饉が既に発生していた1959年、湖南省委員会書記の張平化に指示を出して、滴水洞行宮を建築させ、これを「203工程」と呼んだ。1960年下半期から工事に取り掛かって1962年までに、総建築面積3638.62平方メートルの1、2、3号主体工程が、韶山から滴水洞までの連結道路とあわせて同時に竣工した。総工費は1億元であった。もし、このお金で食糧を購入していたなら、湖南省での大飢饉の3年間で、少なくとも150万人の餓死者が発生しなかったはずである。

 共産党指導層の遊蕩した生活は、無節制な欲望からくる放縦に限らない。その権謀術数、冷酷さ、傲慢さに満ちた淫らな生活は、信仰と道徳の制約やマスコミの監視が欠如していることによるものであり、そのため、国家権力を利用して悪行を重ね、災難をもたらしているのである。かつ、低俗で堕落した品性がもたらした示範作用は、社会道徳を急速に下落させた。

 「神を創る」ことは、個人による独裁の基礎になった。神は間違いを犯すことはないため、共産党の指導層もまた真理の化身として粉飾され、人々はただ盲従すればいいとされた。そのため、「鶴の一声」だけが合理化され、一人の頭脳が幾億の頭脳の代わりをし、散々な結果に対してはすぐにこれを正すことはなかった。独自に思考することは危険な事となってしまった。何故ならば、独自に思考すれば、中共が人々に得させたくない結論に到達するからである。その結果、人々は大勢に従い、風向きを見るだけで、自分の人生なのに自ら主人になることができない。すべての問題は、ひたすら中共の意志に同調し、組職の決定を待った。

 

(イラスト=大紀元)

「神を創る」ことによるもう一つの結果は、多くの人々がひどく迫害を受けた時にも、以前と同様「組職を信じ、党を信じる」ということだ。信仰を持つ人々が迫害を受けると、心中の神に対して祈り、その神の正義に希望を託すことができるが、無神論者が圧迫されると、彼らはさらに高みの道徳的権威を探すことができないために、一種の孤立無援の境地に陥る。この時、人々は自らを慰めて、「中央は正しい。組織がはっきりとさせてくれるはずだ」と言う。この種の「己を欺き他人を欺く」思考様式は、中共が自らを神格化したことによる結果だ。

 信仰を持つ人は、困ったことあると祈ることができるし、寺院や道観に行って焼香して願を掛けることもできる。ところが、無神論者はどこにも行くことができないため、「困ったら、組織に頼む」ことになり、党に問題解決を期待するのだが、その問題を作っているのが党自身であることを知らない。

 中共が政権奪取後に最初に着手したことは、教育とメディアを独占することであった。鶴の一声のやり方で「無神論」と「唯物論」を注入し、伝統信仰に対して、取締り、歪曲、鎮圧を行い、知識分子に対しては思想を改造し、伝統文化に対しては泥を塗りたくって、「封建」「迷信」などのレッテルを貼り、暴力機械を操縦しては党文化に服しない出家者や知識分子を消滅させ、あるいは生活の糧を断ち切ることによって反対者を脅迫し、その上で個人崇拝の「造神」行動を通して、個人信仰の空白を埋めた。中共にとっては、どのような文化を認めるのかということは、決して学術的な問題や単純な観点の問題ではなく、政治的な問題であると同時に階級的な立場の問題なのである。文化大革命後期には、党文化は遂に精錬されて成熟し、中共が希望する程度まで、伝統文化にとって代わった。悪貨は良貨を駆逐する。新世代は皆、党文化の教育の中で育ったため、正統文化とその観念については、無知で何も知らないのである。

 (※)「北上抗日」とは敗走してソ連に脱出した中共が、日本に対立して戦った国民党政府を誹謗して、まるで自分たちが抗日を主導したように捏造した歴史。

 (第1章完)

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