中国の昔話:疫病から身を守った男

中国・晋(しん)朝の頃、庾衮(ゆこん)という若者がいました。彼は幼い時から『詩』や『書』に精通し、親孝行で兄弟ともに仲睦まじく暮らしていました。

275~280年頃、河南省でペストが流行し、大勢の人が亡くなりました。 庾衮の2人の兄が亡くなり、もう1人の兄も感染しました。庾衮の両親は感染した息子のために棺桶を用意し、家族を連れて別のところへ避難することを決めました。

しかし、庾衮は一人残り、兄の看病をすることにしました。

百数日が過ぎ、感染が収まると、家族が戻ってきました。不思議なことに庾衮は元気で、兄も奇跡的に治っていました。

村人たちは、「常人が守れないことを守り、行えないことを行った」と言い、庾衮の徳行を誉めちぎりました。

庾衮の家族はとても貧しかったため、彼は耕作をして両親を養いました。父が亡くなると、庾衮は薪を売って母を養いました。母は彼が苦労するのが忍びなく、「私はそんなに良いものは食べなくてもいいよ」と言いました。

すると庾衮は、「母さんが良いものを食べられなければ、息子は心が痛みます」と母を慰めました。

母が亡くなると、庾衮は喪に服するため、母の墓の隣に住みました。

庾衮は亡くなった兄の子どもたちを、自分の子どものように可愛がりました。彼らに人として行うべき徳行を教え、食事や服は自分の子どもより良いものを与えました。

甥たちには自分の邸宅を与え、姪が結婚する時は、立派な嫁入り道具を用意しました。彼は自ら箒を作り、彼女に教えました。

「お前は幼い頃に父親をなくした。それを不憫に思って、私はおまえに家事をやらせず、叱ることもしなかった。しかし、これからは結婚して他人の妻になるのだから、妻として夫の両親に孝行し、心をこめて家事を行いなさい。夫に従い、家庭を維持することを思い出すために、この箒を与えよう」

歳寒三友図(パブリック・ドメイン)

 

また、庾衮は礼儀を重んじていましたが、理に反する礼儀には従いませんでした。

庾衮が兄たちと一緒に陳准兄弟の家を訪問した時のことです。兄たちは陳准兄弟の母親に拝礼をしましたが、庾衮だけは拝礼をしませんでした。

陳准の弟が「なぜ母に拝礼をしないのか」と聞くと、「他人の親に拝礼をするというのは、自分をその人の子とみなすのと同じです。厳粛に行うべき拝礼を、いい加減にはできません」と庾衮は答えました。

彼の話を聞いて、陳准兄弟は納得しました。

「あなたは明哲な人です。あなたのような人材が官職についたら、きっと国のためになるでしょう」

庾衮の評判が広く伝わり、潁川郡の太守は彼を功曹(古代の官職名)に就かせようとしました。太守は庾衮に迎えを出し、功曹専用の邸宅に住まわせようとしましたが、庾衮は固く断りました。しかたなく、太守は庾衮にたくさんの贈り物をした後、彼を帰らせました。

庾衮は、国内の内乱と外敵による侵略を予想し、一家をつれて河南省林州市にある林虑山で生活を始めました。一年も経たないうちに、彼の徳行が広まりました。

庾衮は、口にしたことは必ず実行し、力を尽くして人々を助け、若者たちに手本を示しました。村人や役人は彼を尊敬し、教えを請いました。庾衮の影響を受けて、林虑山一帯は慈と孝行がいきわたり、人々は穏やかに暮らしました。

参考資料:『晋書孝友伝 庾衮』

(翻訳編集・唐玉)