『 宇治拾遺物語』:写経のため、地獄に落ちた能書家 下
藤原敏行は、平安時代前期の歌人,書家です。書は空海に並ぶと言われるほどの書道の大家でもあり、立派な人だと思いきや、『宇治拾遺物語』では、食い気と色気にほだされて地獄に落ちた様子が描かれています。
何とか地獄から戻ってきたが
敏行が死に、妻が悲しく泣いていたところ、敏行は生き返りました。敏行は夢から目覚めた心地でしたが、全てはっきりと思い出せました。敏行は今度は身と心を清浄にして四巻経を書き、供養しようと誓いました。
敏行はまず、四巻経を書き奉る紙を表具師に作らせ、罫線も引かせて、いざ書き奉ろうと思いました。しかし、日にちが経つにつれ昔の色気づいた心が涌いてきて、経文や仏の方へ心が至らず、結局また歌姫のもとへ行きました。楽しく遊んでいるうちに、自分の誓いはすっかり忘れてしまい、むなしく年月を過ごすうちに結局、四巻経を書くこともなく、与えられた寿命が尽き、亡くなってしまいました。
数年後、紀友則という歌人が、夢の中で敏行に会いました。夢の中の敏行はあさましくて恐ろしい様となっていて、見るも無残な姿に変わっていました。そして
「私は以前、四巻経を書くという約束で、生き返されました。ところが、怠け癖がでて、また女に夢中になり、大事な写経を書く約束を守れず、死んでしまったのです。今では、その罪のため、とんでもない罰を受けています」
「もし、私を可哀想に思うのなら、どうか、私の写経した時使い残した用紙があるので、それを持って、三井寺の住職に、四巻経を書くよう、お願いできないでしょうか」
と言って、大きな声で泣き叫びました。
驚いた紀友則が夢から目覚ますと、全身が汗びしょびしょとなっていました。早速、その用紙を持って、三井寺の住職を尋ねると住職が「ああ、ちょうどよかった。今、私もあなたのところに伺おうとしたところでした」といいました。詳細を聞けば、和尚も夢で敏行に会い、写経をお願いされたとのことでした。写経の用紙は紀友則にあり、書いた経文を供養してやれば、自分の罪は多少軽減すると敏行は言ったそうです。それを聞き、紀友則も夢の中で敏行に会ったことを話しました。
二人はそんな敏行を哀れがり、和尚は謹んで恭しく写経をし、供養してやりました。
やがて、お二人の夢に、再び敏行が現れ、「お二人に感謝いたします。私はこの功徳によって堪え難い苦役が少し免れました」と、心地よさそうに、 だいぶ良いような敏行の姿が見えたと言います。
参考資料:
『 宇治拾遺物語』
(翻訳編集・唐玉)