夕暮れ時の北京の天安門広場(Getty Images)
5年に1度の会議

今週末開催へ、中国全国金融工作会議の3つの焦点

中国当局が5年に1度の全国金融工作会議を7月中旬に開催するとみられる。習近平国家主席が主導する反腐敗運動が金融界に拡大したことで、会議で習当局が今後、金融監督当局への締め付け、金融界の党内江沢民派閥からの抵抗を阻止するために、どのような方針と措置を打ち出すのか。

同会議では、主に以下3つの焦点がある。

焦点1:習近平国家主席は出席するのか

今年で5回目となる中国政府の全国金融工作会議では、今後の重大な金融改革問題をめぐる当局の方針が定められ、それに伴う金融監督当局の改革方案も公布される。

国内の一部のメディアは、過去数回の会議では進行役の国務院首相だけが出席したが、今回は李克強首相が司会を、国内経済金融政策への重視を示すため、習近平国家主席も演説する予定と報じた。

中国政治経済評論家の文小剛氏は、習当局は同会議で、敵対する江沢民と曽慶紅の失脚をにらんで、より厳しい金融監督規制の布石を打っていくと見ている。

江沢民派ナンバー2の逮捕は近い?(1)

 

文氏によると、2015年に江沢民らの利益集団が株価を操作して株式市場の大暴落を起こしたことで、習陣営は江派閥の一掃のため、反腐敗運動を強化した。

また、江派とみられる保険監督管理委員会(保監会)主席の項俊波の失脚や、江派とつながりのある富豪の肖建華らを拘束するなどの動きから、「今年は反腐敗運動がいよいよ金融界に拡大した」と文氏は見ている。今後は、「反腐敗対象が直接、江沢民と曽慶紅を目指していくだろう」と語った。

これまで当局は、投資をけん引力に経済成長を維持してきたが、近年、その効果が薄れてきた。金融のシステム的なリスクを低減させるため、中国当局は昨年、企業や地方政府などの債務の削減(デレバレッジ)措置を打ち出した。そのため、昨年国内総生産(GDP)に大きく貢献してきた不動産市場は今年に入ってから、やや後退した。

「習当局が中国経済をうまくやらないと、江派閥らに反撃のチャンスを与えてしまう。その重要性から、習近平氏は会議に出席するだろう」と話した。

焦点2:経済クーデターを防ぎ、金融システムへの監督管理を強化できるか

一部の専門家は、習近平陣営にとって、江派閥に隙を与えることなく、いかに金融システムへの監督管理を完全化させるかが、同会議の最も重要な議題になるとみている。

国内金融界関係者の間では、金融監督当局の体制改革が行われ、1行3会(人民銀行、銀行業監督管理委員会、証券監督管理委員会、保険監督管理委員会)が1つの大きな監督管理機関に合併されると囁かされている。

また、銀行業監督管理員会(銀監会)など3会が、中央銀行である人民銀行の統括の下に置かれ、人民銀行が金融市場全体への監督を行っていくとのうわさもあった。

いっぽう、中国当局は地方政府や企業の規模が急速に拡大しており、影の銀行(シャドーバンキング)問題など様々な難題とリスクを抱えている。

習当局がこれらの深刻な金融リスクにいかに対処していくかに注目が集まる。

焦点3:会議の参加者に注目

香港紙「経済日報」8日付は、全国金融工作会議は今週末に北京で開催される見通しと報道した。

同紙によると、中国当局のトップレベルの会議には「中央」と「全国」の2種類がある。「中央」会議は、組織や幹部らの等級を重視する。「全国」会議は等級のほかに、会議出席者の範囲を強調する。

等級的に、「全国金融工作会議」は「中央経済工作会議」より低いが、出席者数は多いとされる。人民銀行、銀監会などの3会、省部級副職の国有金融企業の幹部のほかに、各省の省長と金融監督を担当する副省長などの地方政府幹部も出席する。ほかにも中央当局、地方政府と大手国有金融企業の責任者なども参加する大型会議となる。

今年の会議では、誰が出席するのかも、一つの焦点になる。

(翻訳編集・張哲)

関連記事
 中国政府系シンクタンクは最近の報告書で、昨年6月以降起きた株価大暴落について「内部情報を把握していた一部の政府機関責任者とマーケットメーカー(値決め業者)は、国難に便乗して儲けようとし、国家の資産信用に大きな損害をもたらした」と強く非難していたことが明らかになった。当局の公式研究報告として、暴落に関与した官員を直接に批判したのは初めて。
地球の息吹を感じられるような、広大な断崖と砂浜が広がる新島と、入り組んだ海岸線に風光明媚な景色が広がる式根島。竹芝桟橋から大型客船「さるびあ丸」に揺られて、東京の小島へ。
中国金融界における腐敗取り締りの動きは強まっている。中国大手保険会社「安邦保険集団」は14日、呉小暉会長(51)が「個人的な理由でしばらく職務を遂行できなくなった」と発表した。これまで多くの中国メディアに取り上げられた呉氏の「身柄拘束」説を裏付けたものとなった。