時空を超える妻の思い 李白の「子夜呉歌」
中国の歴史上、最も強大な王朝の一つとして栄えた唐の時代。優れた名将を輩出し、「貞観の治」「開元の治」などの太平な世が続いたことで知られています。また、開放的な王朝として、諸外国と盛んに貿易を行い、国には様々な民族が居住していました。
しかし、国境の安定と帝国の繁栄の陰には、名もない兵士たちの苦労がありました。中国西部の砂漠とオアシスが織りなす壮大な風景には、遠征に行った夫を思う妻たちの涙があるのです。
「子夜呉歌」は、当時の時代背景を反映して李白が詠んだ詩です。春夏秋冬の四つの歌から構成されていますが、中でも最も親しまれているのは秋歌と冬歌です。「何れの日か胡虜(異国の民)を平らげて、良人遠征を罷めん」。永遠に戻らないかも知れない夫を案じる妻の心情が伝わってきます。
子夜呉歌
秋歌
長安 一片の月、万戸 衣を擣つ音。
秋風 吹いて尽きず、総てこれ 玉関の情。
何れの日か 胡虜を平らげて、良人 遠征を罷めん。
冬歌
明朝 駅使発せん、一夜 征袍に絮す。
素手 針を抽くこと冷やかに、那んぞ 剪刀を把るに堪へんや。
裁縫して遠道に寄す、幾日か 臨洮(りんとう、地名)に到らん
(訳文)
秋歌
長安城が月の光に照らされ、家々からきぬたの音が響いてくる。
凛々とする秋風が吹き飛ばせないのは、遠く玉門関に駐屯する夫を懐う愁いの思い。
いつになれば外敵を平らげて、あなたは遠征に行かずに済むのだろうか。
冬歌
あすの朝飛脚がたつので、私は最も厚い綿を使って、徹夜で衣服の綿入れをする。
この厳冬に針を持つだけで手が冷えるが、はさみを持つのはなんとつらいことか。
衣服を縫い上げ飛脚に託し、遠いところの彼に届けてもらう。いったいいつ、臨洮に着くのだろう。
言い伝えによると、晋王朝時代を生きた子夜という名の女性が初めてこの曲調の民謡を創作し、「子夜の歌」と名付けられました。呉とは六朝の都の建業及びその周辺の地区を指し、三国志の孫権が治めていた地域で、現在の南京の辺りです。この地域は古代より呉の国の領域に属していたため呉地とも呼ばれ、呉の民謡を「呉歌」と呼ぶようになりました。
秋の歌は、辺境の地にいる良人(夫)を思う妻たちの気持ちを謳っています。夫は遠く玉門関に駐在しているため、戦争が終わらないと帰れないのです。
「衣を打つ」というのは、綿入れをする前の準備作業のことです。古代、女性たちは衣服を作る前にまず織物をたたき、柔軟で平らな状態に整えました。長安の都では多くの妻たちが衣をたたき、眠れぬ夜を過ごしていたのでしょう。帝国の発展の陰には、庶民の骨身を削るような苦労と悲しみがあったのです。
冬歌は、さらに悲哀な曲調が色濃くなっています。凍えるような冬の夜、翌朝の飛脚便に間に合わせようと女性たちは裁縫に勤しんでいます。恋い慕う夫が辺境で凍えないように、自分の寒さも忘れて一心に針縫いをする女性の姿が思いうかびます。
(翻訳編集・桃子)