熊本は石橋の多いことで有名です。阿蘇の噴火で出来た加工しやすい石材が容易に入手できることもありますが、種山石工(たねやまいしく)の存在も大きな理由といわれています。種山石工とは江戸後期、熊本藩八代郡・種山手永に居住していたとされる石工の技術者集団です。種山石工の開祖といわれるのは藤原林七(ふじわら・りんしち 1975年~1837年)で、もとは長崎奉行所の役人。林七は重い石を積み上げたアーチ形の橋を見て建造技術に興味を持ち、出島に滞在していたオランダ人から石橋の建造技術のもとになる円周率を学んだそうです。当時、無断で西洋人と接触することはご法度で、逃亡の果てに種山村へ流れ着いたといわれています。ここで彼は石橋の技術を学び、息子たちにその技術を継承しました。
当時、石橋の建設は公共事業ではなく、庄屋や百姓が建設費用を負担しました。そのため構造的に不要なものを省きコストダウンに努めたそうです。欄干がない石橋が多いのはこれが理由だとか。また種山石工の技術は抜群で巨大な石橋の建設では独壇場だったそうです。
写真の石橋は熊本市から南東30kmに位置する美里町(みさとちょう)にある二股橋(ふたまたきょう)です。この橋は緑川支流の釈迦院川と津留川の合流地点に、それぞれの川に架かっている二つの独立した眼鏡橋のことです。二つの橋の距離が近く大きさや石組みが似ていることから一つの橋のように見えます。
ところで、この橋の上にいる大勢の人たちは長時間、橋の上にいます。石橋について、うんちくを傾けているのでしょうか?
答えは写真の中で。
(文・佐吉)
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