フランクリンの発明 人々の心をつかむアルモニカ
アメリカ建国者の一人であり、発明家でもあるベンジャミン・フランクリンは多くの発明をしたことで有名です。最もよく知られているのは、空から電気を引いてその存在を証明し、避雷針を発明したことです。しかし彼の音楽の才能とその貢献はしばしば忘れられています。彼に最も大きな喜びを与えたのは、アルモニカでした。
アルモニカはイタリア語由来の言葉で、「共鳴」を意味します。アルモニカは音の高さの異なるガラスの器を大きい順に並べて一本の水平な軸に通したもので、軸の先端はペダルと連動しています。ガラスの器は半分だけ水に漬かっており、ペダルを踏むことでそれらを回転させます。湿ったガラスを指でこすって演奏します。
ベートーベンやモーツァルトもアルモニカのために作曲
18世紀は西洋音楽が最盛期を迎えようとした時期でした。1721年には西洋音楽の父と称されるバッハが「ブランデンブルク協奏曲」を作曲。1741年にはバロック期の作曲家ヘンデルがオラトリオの「メサイア」を生み出しました。
フランクリンの発明心も芸術的な雰囲気に感銘を受けたのでしょう。フランクリンはヘンデルの管弦楽組曲「水上の音楽」からインスピレーションを受けてアルモニカを発明したといわれています。1762年、マリアンナ・デイヴィスが初めてアルモニカを演奏し、その後この楽器はヨーロッパ中に広まっていきました。
モーツァルト、ヘンデル、ベートーベン、リチャード・シュトラウスを含む100人以上の作曲家がアルモニカのために作曲しました。それらの楽譜のうちの一部は手を加えれば伝統的な楽器でも演奏できるため、完全な状態で今日まで保存されています。
ヨーロッパの上流社会はすぐにアルモニカのとりことなりました。フランス王妃のマリー・アントワネットは幼少時よりマリアンナ・デイヴィスに師事していました。また、フランスの音楽家カミ―ユ・サン・サンシースは組曲「動物の謝肉祭」の中でも第七楽章の「水族館」と第十四楽章の終曲においてアルモニカを打楽器の一つとして用いています。
心の琴線に触れる音色
1927年に刊行されたアメリカの音楽雑誌「Etvde」の表紙には、アルモニカを演奏するフランクリンの想像画が掲載されています。ヨーロッパのサイトにはフランクリンを真似してアルモニカを演奏する動画もアップされています。曲名は「あめだまの上で踊る妖精」。その音色は優雅で美しく、ぬくもりを感じさせます。アルモニカは完璧に近い和音を演奏できるため、バイオリンの合奏のように弦楽器の悠長なる音色を持ちながらも、打楽器の軽快な響きをも兼ね備え、大小の風鈴が揺れ動くようです。
アルモニカの音域はたいてい1000ヘルツから4000ヘルツの範囲にあり、我々の脳にとって識別がやや難しい音域にあたります。そのため音がどこから来たのかを確定するのは難しく、その音を生み出した材料や方法を判断できないのです。フランクリンはアルモニカの音色を「この上なく優しい」と褒めたたえました。ヘンリー・ウィリアム・ブランズ作のフランクリン伝の中で、イタリアの神父ジャンバティスタ・ベッカリアに宛てたフランクリンの手紙が紹介されています。そこにはこのように書かれていました。
「アルモニカの長所はその音色が他の楽器と比べ物にならないほど優雅であることです。というのは、演奏者は指先の力の強さを調節することによって、気の赴くままにその音色をより豊かにしたりより柔らかくしたり、そして好きなだけ長く伸ばせるのです。その上アルモニカは一度調律されれば二度と狂わないのです」
デニース・ジェームズは2013年にアルモニカのアメリカ公演を果たしました。彼はまたアルモニカの演奏による曲集「クリスタル:時空を超えるガラスの音楽(翻訳者仮訳)」を制作しました。グラミー賞受賞者でミュージシャンのヨハン・ボイランもその制作に携わりました。
ジェームズは子供の頃からアルモニカが大好きでした。「私は六歳の時にフィラデルフィアにあるフランクリン・インスティテュートを参観しましたが、そこでガラス製楽器と初めて出会いました。その有名な科学博物館の入り口には円形ホールがあって、ベンジャミン・フランクリンのアルモニカはショーケースの中に置かれていました。今でも私がそれに夢中になっていたその時の情景が思い出せます」と彼は言います。
フランクリンは幼いころ父親の影響で音楽が好きになり、ハープやギター、バイオリン、また他にもいくつかの楽器を習得しました。彼は大きくなるとお気に入りの曲に歌詞をつけ、友人の間で広まったものさえありました。また、フランクリンは歌声にも恵まれていました。
フランクリンのアルモニカは二百年もの時空を超えて今なお人々の心を魅了しています。
(翻訳・文亮)