不知火町(しらぬいまち)は熊本の中部にある宇土半島の南側に位置し、八代海(不知火海)に面しています。温暖な気候と内海に恵まれ、漁業の町として栄えました。安政2年(1855年)には松合漁港が完成し、熊本藩第一の漁港となりさらに繁栄しました。また元禄時代には豊かな地下水を使った酒造が始まり、酒造の街としても知られるようになりました。しかし、三方を山で囲まれた土地に民家が密集しており、火事になると大きな被害を受けました。文政9年(1826年)~天保2年(1831年)には、4度の大火で、のべ871戸の家屋が焼失したといいます。そんな大火のなかでも白壁土蔵造りの家屋だけが焼失を免れ、土蔵造り白壁建築が行われるようになりました。松合を歩くと今でも白壁土蔵造りの家を見ることが出来ます。
ところで、明治期に松合出身の女性が大きな話題になったことがあります。女性の名は御船千鶴子。直木賞作家・光岡 明氏の小説『千里眼 千鶴子』で有名です。姉の夫の清原猛雄に「おまえは透視ができる人間だ」と催眠術をかけられたところ優れた結果が出たため修練を続けるようになったそうです。透視で万田炭鉱の発見をしたり、海で紛失した指輪の場所を言い当てたと言われています。
千鶴子の存在が話題となり、京都帝国大学の今村新吉教授(医学)や東京帝国大学の福来友吉助教授(心理学)が研究を始め実験が行われました。紆余曲折があり、千鶴子は最後には服毒自殺をしてしまいます。
松合には千鶴子の生家跡が残っています。
(文/写真・佐吉)
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