【大紀元日本8月31日】NHKの朝の連続ドラマが好評らしい。そのドラマゆかりの町、東京・調布を訪れたのは8月半ば。妖怪に触れて涼しくなりたいような、残暑の厳しい日だった。
本文を書くにあたり「水木しげる」という名前に敬称をつけるかどうか、少々迷った。例えば「夏目漱石さん」とは呼ばないように、その道の大家として認めるなら敬称をつけないのが正解であろう。しかし、この町では「水木先生」あるいは「水木サン」と呼ばれて親しまれており、なによりご本人が当地の名誉市民として健在なのだ。40年前から水木作品によって学校以上の「教育」を受けてきた元少年の1人としても、やはり敬称なしは憚られるので、ご本人の自称でもある「水木サン」で進めさせていただく。
調布駅に近い牛乳店でビン入りの牛乳を飲みながら、話好きな店のおかみさんと暫しおしゃべり。「水木先生の事務所は、ほら、すぐそこのマンションですよ。お住まいは富士見町ですけど、お仕事はこっちですからね。よく道でお見かけしますよ」と、元気すぎる声で話す。
ほら、といって指さしたマンションは目の前だった。そんな町の声を聞くと、水木サンや妻・布枝さんが今にもそこを通るような気がする。人々はドラマを見て、それぞれの昭和を思い出し、自分の家族の歴史を重ね合わせるのであろう。それにしても、その語り部が今も同じ町にいるという喜びは、地元ならではの「特権」に違いない。
今年88歳になる水木サンは画業60年。南方の戦地で左腕を失い、残された右腕一本で鬼気迫るほど描いた。昭和30年代から布枝さんとの結婚を挟んだ40年代初めまで、水木サン一家は極貧の生活であったというが、そのような苦労を「ゲゲゲの夫婦」は笑顔と大らかさ、そしていつか必ず認められるという信念のもと、力強く乗り越えていく。
やがてテレビ時代となった昭和40年代。「悪魔くん」「ゲゲゲの鬼太郎」「河童の三平」などが、次々とテレビアニメや実写版で登場する。おかげで、かつてのような貧困からは抜け出たものの、今度は想像を絶する忙しさで倒れそうな日々。水木サンが好む「なまけものになりなさい」は、もちろん怠惰を勧めているのではなく、凄まじい仕事をこなしてきた人だからこそ言える言葉なのだ。
余人には描けない妖怪の絵のほうが印象に強いが、実は最近、水木作品の真髄は登場人物(お化けも含めて)が発する台詞にあったのではないかと、個人的には思っている。
「ゲゲゲの鬼太郎」シリーズの一つ、「鬼太郎夜話」のなかにこんなシーンがあった。ある日、鬼太郎のもとへ一通の手紙が届く。郵便配達人は、これは偽物の切手だからダメだと言って罰金を請求する。すると鬼太郎は、貼ってあるのは「お化け政府」発行の正式な切手だとした上で、「日本に人間ばかりいると思ったら大まちがいだ。昔からお化けも住んでいる」と、人間に向かって反論するのだ。
人工的な電気の光に埋まり、暴力的なほどの音の洪水にあふれた現代。古来より闇と静寂の中にいた愛すべき「お化け」たちを私たちに引き合わせてくれた水木作品に、40年を経た今、心から感謝したい気がする。
その懐かしい幼馴染たちが、調布の町のあちこちで出迎えてくれるのは、やはり嬉しい。
調布駅近くの天神商店街で町を見つめる鬼太郎(大紀元)
調布市にある古刹・深大寺の本堂(大紀元)
調布市観光案内所「ぬくもりステーション」の前に立つ「ぬりかべ」(大紀元)
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