英国バイリンガル子育て奮闘記(33)

【大紀元日本5月3日】

小学校低学年 (1994年9月~1997年7月) ウェールズ人の先生

新しい小学校は、1学年と2学年の併合クラスが二組設けられていた。不思議なことをするなと思ったが、この方式だと1年生の能力はとても早く伸びる。小学校の全校試験が導入されたばかりだったので、試験の結果は上がるだろうなとやり手の校長先生に感服した。

というわけで、最初の2年間は、同じ担任の先生だった。歌の上手なウェールズ人で、自分の文化を誇りにした先生で、バースデーソングなどもクラス全員がウェールズ語で歌えるようにしていた。ハープが得意で、学校の催しがあると、ハープを片手に歌っていた。

若いのに貫禄と落ち着きがあり、片手をさっと上げただけで、全生徒が黙って立ち上がる。週末には、先生とお別れになるので、一人一人の生徒が先生をぎゅっと抱きしめてから教室を出る。

非常にラッキーだったのが、先生のバイリンガルに対する理解。ウェールズの大学では、勉学に、ウェールズ語か英語かの選択ができるけれど、将来を考えて英語で学士を履修したと話してくれた。

英国のコーンウォール州で日本語で育てられている娘を暖かく見守ってくれて、なるべく「日本人」の部分にはプレッシャーをかけないように、自然に接していると面談で語ってくれた。

英語が世界で広く使用されているため、 一般にイギリス人は外国語が苦手だが、ウェールズとかスコットランドとか、結構身近なところに、バイリンガルを肌で体験している人々がいることを実感し、心強く感じた。

2年間お世話になった後、6年生の担任になったが、学期の途中で他の学校の教頭先生として引き抜かれてしまった。

3年生の担任の先生には、バイリンガルへの理解は皆無で、「アン、日本語で何か言ってごらん」と言われ、娘は「なぜ?」と答えたそうだ。娘にとっては、日本語は日本人に使用するものだから、クラスの皆に話しても、全く意味がないわけだ。本来ならば、「先生に対して生意気な返事をするんじゃないよ」と注意すべきだが、これは先生の認識不足だなと思い、クラスメートがその話をしてくれた時、軽く聞き流すことにした。

(続く)