小皇帝の涙
【大紀元日本1月15日】NHKの「激流中国」というテレビ番組を視聴した。日本でも進学競争は大きな問題であり進学塾が全盛を極め既に教育産業として定着してしまった感がある。愛児が一流大学を卒業し一流企業に就職するのが両親の夢であり、そのためには家計への重圧すら耐えしのび子供の教育に全力を挙げるのは世の東西を問わないようだ。
筆者が子供の頃、つまり戦後も間もない頃には資力のある家庭で子供に家庭教師を付ける家もないではなかったが、それはむしろ例外であり、家庭教師に付くことを子供ですら恥じる雰囲気があった。小学校から私立中学校に進学の節も、願書提出から入試の発表まで本人が自分でするのが男の子なら当たり前とされた時代であった。時代が変わり最近では大学の入試や入学式にも親が付き添うケースも珍しく無いという。我々の世代から見ると過保護も極まれりと思うものの時代の趨勢というのは恐ろしいもので、いつの間にか塾通いが小中学生にとっても常識の時代になっている。まだ幼い子供が受験のため毎夜遅くまで勉強するのは一種の必要悪なのかも知れないが、塾に行かねば良い学校に進学出来ないのは異常な事態である。一方、中国の場合、一人っ子政策の結果、かねて子供が甘やかされる弊害が指摘されてはいたが日本以上に激しい進学競争があるようだ。テレビに報道されたのは雲南省の省都である昆明の小学校の話であり、児童の服装や家庭の映像を見る限り日本の中産階級の家庭と同質の姿であったが、父兄の話として大学を出ても毎年百万人にも及ぶ大卒が職を得られぬ時代だそうだ。その故にこそ一流大学を卒業させたいのだという話であった。西安だけでも百を超える大学や高等専門学校があると聞いたことがあるが、進学競争も益々エスカレートしているようである。
都市部の進学競争が激しいのは、それなりに分かるような気もするが、翻って、農村部ではどうなのだろう。元々、戸籍からして都市部と農村部では大変な不平等があると聞いているが、恵まれぬ農村の子弟やその親達のことを想起すると暗然たる思いになる。人間は本来平等な筈であるのに寒村に生まれた場合、才能に恵まれていても成長の過程や教育環境で都市部の子弟と大きな差がつくのは道理であり、学費の問題まで含めると大半の子弟が中国でいう重点大学に進学するのは絵空事であろう。苦学して大成する人物も少なくはないのであろうが、客観的にみても大抵の国では有名大学を卒業するまでには相当な資金が必要となる。日本で働いている若い中国人ソフトウエア技術者から「大清帝国」という言葉を知っていますかと問われ「清帝国の別称ですね」と答えたところ「昔はそうでしたが今は違いますよ。清華大学出身閥のことを指すのです」と説明され唖然とした。