「雪の中、程門に立つ」 尊師求学の心
北宋の時代、程顥(ていこう、1032-1085)と程頤(ていい、1033-1107)兄弟は、儒教を道学に高め、後の朱子学の理気二元論に大きな影響を与え、程門と称された。厳格な教えで知られた程門の門を叩く者は数多く、中でも、楊時、游酢、呂大臨、謝良佐は程門四弟子と言われた。
楊時(1053-1135)は、幼くして文才に優れ、23歳で進士(科挙の最終試験に合格した人)となった。しかし彼は、29歳の年、高官としての高禄を捨て、福建から河南の程顥の下へ教えを請いに出向いた。彼は一際学問に優れており、程顥の下で学問を終えて帰郷するに当たって、程顥が「我が学問、南(福建)に伝えられたり!」と、感無量で見送ったという。
遊酢(1053-1123)もまた、少年時代より聡明で、一度目を通した書物は憶えることができたという。彼は、19歳の年に福建から程顥の下へ教えを請いに出向き、30歳のとき進士となった。
程顥の下で学んだ二人は、程顥亡き後、ともに弟の程頤に教えを請うことにした。二人はそのときすでに進士で、しかも40を超えていたのにである。
楊時と遊酢が初めて程頤に会いに行ったとき、程頤はちょうど瞑想中であったため、二人は恭しく傍らに立って待っていた。瞑想を終えた程頤は、傍らにいる二人に、「まだそこにいたのか。遅くなったので、帰って休みなさい」と言った。そこで、二人が門を出てみると、雪がすでに1尺も積もっていたという。
この逸話から後の人は、「程門立雪」(雪の中、程門に立つ)ということわざで、「師を敬い真心から教えを求める」気持ちを形容するようになった。
二人は程頤の下で学問を終え、楊時は学んだことを福建に伝え、「閩(福建)学の始祖」と称された。一方、遊酢は、徳行を重んじ温厚で、官吏として到る先々で、人々より父母のように敬愛を受けたという。