【大紀元日本8月8日】
【お盆のような月(満月)】
お盆の時期は全国的に3通りあるようです。①新暦の7月15日頃(東北地方など) ②月遅れの8月15日頃(全国的には一番多い) ③旧暦の7月15日頃(九州地方など、新暦換算で年によって日が変わる)
いずれにしても、お盆は満月の頃に行われる行事です。お盆のような月が出る頃になると、あの世とこの世の境界が朧となってドアーが開きます。かがり火を目印に祖先の御霊(みたま)が、各家の戸口を探し当ててやってきます。御霊の送迎とおもてなしが、お盆行事では最も大切です。
祖先の御霊はあの世の幾層かの境域を通過し、最後に月の門を渡るために待機しています。この世を照らし映す月の水に御霊の姿を透き通らせ、盆の明かりが漂う場所を目指し最後の門を押し開きます。地球へとつながる月光色に輝く祖先の道を、螺旋の糸を手繰り寄せて舞うように姿を現します。旋回するトンネルをゆっくりと、リズミカルに下降してくるのです。
盆櫓(やぐら)の周りに生まれた輪踊りの渦のエネルギーが夜空に上昇し、下降する祖霊の道と交わって満月のように煌々と輝きます。盆踊りの踊り手の心は祖霊の御霊の影を宿して足を踏み鳴らして喜び、手を差し伸べて御霊と一体化して舞うのです。
亡者踊りという姿に、盆踊り発祥の原型を偲ぶことができます。夜を徹して踊り明かすということも、御霊と共に過ごす心性の表明に他なりません。眠らずに踊り明かすということは、あの世の御霊たちの命を体験することなのです。
【御霊の送迎(オガラの火)とは?】
祖先の御霊を迎え送るために、かがり火が焚かれ提灯が吊るされます。古くは各家の戸口でかがり火が焚かれていました。盆踊りも門付け芸能のように、各家の玄関先を巡る道行の中で踊られていました。それは御霊の通い路を、同行することであったのです。
迎え火や送り火で燃やすものに、オガラ(麻の茎を干したもの)が使われていました。オガラは麻(オ)の殻のことです。素焼きの器=焙烙(ほうろく)にオガラを入れて、各家の玄関先で焚いて御霊を迎え送る印とします。
御霊をもてなす家族が身を清めた潔斎の火が、オガラによって焚かれた火によって表わされました。神聖な御霊を送迎しおもてなしをするには、それに相応しく火によって身を清めなければなりません。オガラで焚かれた火は、身を潔斎した証(あかし)として灯されて御霊に献じられます。
心身を清めることによって初めて、御霊と同じ命の姿となって交流することができます。祖先の御霊をもてなすということは、その姿に倣って遂行するということです。御霊の送迎に当たり、オガラの火をまたいで戸口を出入りします。火による清めを象徴的に演じる仕草に、連綿と続いて来た習わしの姿を垣間見ることができます。
【三輪山伝説(オガラの糸道)】
イクタマヨリ姫のところに、夜毎に訪れる人がいました。この奇(あや)しき人の素性を確かめようと、その人の衣服の裾に麻の糸を通した針を縫いつけておきました。翌朝オガラの糸道を辿ると、麻糸は家の戸口の鍵穴(あの世とこの世の門)を貫いて、三輪山(奈良桜井市にある神体山)へと続いていました。
奇しき人の正体は、三輪山の主(明神)であったことが明らかになりました。白い麻糸が辿る道は御霊の通い路として、夜道にもそれと白く輝く標(しるべ)として伝承されるようになりました。それ故に三輪そう麺の白き滝糸は輝く祖霊の道を讃えて、霊(たま)棚に供えられることになったのです。あの世とこの世をつなぐ盆のへその緒が、オガラの糸道なのです。神話的なオガラの糸道を探し当てて、祖先の御霊が今年も降りてきます。
【霊棚(天の鳥船)】
霊棚は精霊(しょうりょう)棚や盆棚とも呼ばれています。祖先の御霊を供養する棚を拵えて、送迎のおもてなしをします。棚にはマコモのゴザが敷かれ、四隅に青竹を立てて縄をめぐらし結界とします。棚には季節の食物をはじめ団子や餅やそう麺が供えられ、位牌が安置され明々とロウソクや盆灯篭が灯されます。
きゅうりとナスにオガラの足を付けて、特別に飾ります。馬のように速く御霊がやってきますようにという願いが、きゅうりの馬に託されます。牛に見立てられたナスは、牛のようにゆっくりとお帰り下さいという願いです。御霊は馬や牛などの乗り物=天の鳥船に乗ってやってきます。霊棚は祖先の霊が寄り付く、ポート・アイランドです。
【盆櫓(矢倉が放つ光)】
盆踊りの中心に踊り櫓が組まれ、音頭取りと囃子方が陣取ってハレ舞台を指揮します。太鼓や三味線が囃し立てる曲に合わせ、祖先の御霊の波動と共振しながら櫓の周りを巡り踊ります。
あの世とこの世をつなぐオガラの糸道は、盆月夜ともなれば満月のように解き放たれて開通します。この世に迎えられる御霊の祝いの喜びが、太鼓の賑やかな跳ねる音に託して櫓=矢倉から、あの世を映す満月のように放射されるのです。満月の白羽の矢に射抜かれることは、あの世の使信をしっかりと受け止めることに他なりません。
あの世からもたらされた御霊の光をいっせいに踊り手たちは浴び、それをさらに呼び込むように手招きする手振りの仕草が、盆踊りの一つの型となりました。あの世の光を心身に吸い取って、この世のコスモスを賦活させることが盆踊りの眼目なのです。それは同時に、祖先の御霊のこの世での蘇りでもあるのです。
【盆踊りの風姿(花笠と下駄の音)】
富山県・八尾(やつお)の風の盆の風流な「鳥追い笠」や、秋田県・西馬音内(にしもない)の黒一色の神秘的な「彦三頭巾」に見られるように、被り物で顔を隠して踊る姿が人目を惹きます。笠や頭巾に覆われた影の部分に、祖先の御霊が宿ります。
オガラの糸道を照らす満月の光を浴びて、鳥追い笠は美しく輝きます。月の水=光のシャワーを受け止める日傘が、花笠という被り物の役割です。黒頭巾はその光のシャワーを内部に集めて、御霊の所在を密に暗示するのです。
岐阜県・郡上(ぐじょう)踊りでは下駄の音が満月に鳴り響いて、祖先の御霊を鼓舞する儀礼的な足踏みならす音楽が振舞われます。北斗七星を地上に投影してステップを踏む=反閉(へんぱい)の所作のように、御霊がこの世に降り立って過ごす歩みを鎮魂する願いが、下駄の発する音の間合いに込められて響きます。祖霊を供養する「舞踊=盆踊り」は、手が舞い足が踊りを促し、変容する眠りのないあの世の風姿を物語るのです。
【精霊流し(覆水を盆に返す)】
霊棚に供えた盆灯篭や季節のお供え物などを添えて、精霊=祖先の御霊を船に乗せて海や川に流し、この世の穢れを水の清き流れで祓ってあの世に送り出します。再び月の水の門を渡り、あの世の幾層かの境域を通過する旅へと向かいます。
オガラの糸はあの世とこの世の双方に巻き取られて、月の水深く漂う竜宮の霊箱に保管されます。精霊舟は常世の命の故郷へと漂着するのです。この世に溢れた祖先の御霊の清水の光は、盆が終わると共に帰るべきところに返っていきます。覆水は盆に返って永遠の循環は回帰し、来年の盆のエナジーの誕生に備えるのです。
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