【漫画(MANGA)往来】オンリーワン『諸星大二郎』①
【大紀元日本2月22日】2月11日、神々のふるさと山陰・鳥取県のJR境線(境港市~米子市)に、水木しげる妖怪漫画「鬼太郎」の人気キャラクター・目玉おやじのイラストを賑やかに描いた妖怪列車がお目見えした。車体の外側に48体、車内に17体の姿形も様々な目玉おやじが、ユーモラスに滑走しながら大目玉を振舞って妖怪世界を沸かした。車両のドアーに大きく目玉の文字が書かれ、一目瞭然のこの世での目立ちようだった。
「目玉おやじ妖怪列車」は鬼太郎列車(2000年8月)、新鬼太郎列車(2005年11月)、ねずみ男列車(2006年2月)、ねこ娘列車(2006年7月)に続くニューフェースの誕生であり、目玉のインパクトはこの世の悪のすべてを見据えて、一掃するかのように睨み輝いていた。それはたとえユーモラスに満ちたものであるにしても、妖怪を照らす光として邪な心を善導する、なお一層の活躍を「目玉おやじ」と鬼太郎に期待したい。
鳥取県境港市は水木しげるの生誕地。境港駅前から水木しげる記念館にいたる約800㍍は、水木ロードと呼ばれる妖怪ワールドの聖地と化している。妖怪の出店やグッズ尽くしのサービスが、至れり尽くせりのご愛嬌が賑々しく披露されている。食べ物やみやげ物などが妖怪アイテムに仕上げられ、ずらりと勢揃いしてファンを堪能させるに事欠かない。神々のふるさと山陰では妖怪も背筋を伸ばして折り目正しく、人間賛歌を一緒に謳歌しているかのようだ。
のどかな妖怪観光都市・鳥取の風景が、パノラマのように影も日向もない平和なユーモアを醸し出している。山の「陰」にそして「境」港というトワイライトゾーンのような名称の場所にこそ、怪異なモノノケたちはその本然の姿を憩わせることができるのだ。
イマドキの現代っ子に訊くと妖怪は、映画やゲームの世界に住んでいるキャラクターなのだそうだ。さしずめグッズのような物であるらしい。恐いものの代名詞というラベルなのである。ラベルをはがせば妖怪の正体見たり、枯れ尾花ということなのであろう。妖怪という用語なのである。こしらえ物にビックリするのは、間違ったことだと確信している。
妖怪や幽霊はいない。だとしたら神や仏も存在しない。それらはプレイゲームの中で役割を与えられた生命体として、バーチャル・リアリティーの世界を楽しませてくれる物で充分という訳なのだ。妖怪もろとも神々もまたあっさり、あっけらかんと現代的に脱臭・漂白されてしまった。
現代っ子のマインドから漂流した妖怪は、どこへ行ってしまったのか。決してこの世の埒(らち)外へは逃亡せず、人間の内面に深々と正体を沈めてしまったのだとしたら、この先未来永劫にわたって恐ろしい残虐事件が、現実世界を食い破って噴出してきても何ら不思議ではない。バーチャル・リアリティーの逆襲が始まったのである。
妖怪が手を直截下すより恐ろしい怪事件が人間の手から、手足と心を失くした頭脳から、妖怪や神を見失った心の底なし沼から、おどろのようにしなり出てくるようになった。この現実界の怪奇ミステリーの謎をこそ、現代の妖怪ハンターを志すものは解かねばならない。
妖怪がいるから、ハンターがいる。『妖怪ハンター』と名付けた出版社の確信に、寸毫の手違いもなかった。諸星大二郎の単行本『妖怪ハンター』は、1978年ジャンプ・スーパーコミックスから発売され、固唾を呑んで待っていた諸星ファンの好評を博した。第一話・黒い探求者、第二話・赤いくちびる、第三話・生命の木、第四話・闇の中の仮面の顔、第五話・死人帰り。巻末に「第7回手塚賞入選」生物都市が収められている。
『妖怪ハンター』の世界にまるで魅入られるように引き込まれると、21世紀における真の妖怪がどこかに存在しているという確信が、不条理の隙間を押し分けて真新しく現れてくる。これを認めてしまうことには、きっと勇気がいるだろう。ならばこの勇気の彼方にかけてみてこそ、現代の妖怪ハンターたりうるといえるだろう。異端の考古学者・稗田(ひえだ)礼二郎が、わがたどるべき使命の道のように、怪奇ミステリーの真の実在の核心に挑んだ物語が、諸星大二郎の日頃の精進と丹精を込めて描かれた。
稗田礼二郎が謎解きに挑む怪事件は決して絵空事のミステリーではなく、かつてあり今もあり未来の現在においても連綿と続く、人間の魂魄(こんぱく)が辿り得る真正のドキュメントなのである。妖怪と神のアンドロギュヌス(両性具有)である人間の魂が、奈落へ向かう悲劇のドラマを招き寄せるのか、それとも・・・諸星大二郎は独特な手法と発想の起承転結で描いたのである。このような漫画家が日本にいることを諸星ファンならずとも、ここにささやかな諸手を謝して感嘆のオマージュを捧げたい。