「ノスタルジア」という言葉は、二つのギリシャ語に由来します。「アルゴス」(痛みまたは悲しみ)と「ノストス」(帰省)です。もともとこの言葉は、ホームシックに伴う鋭い痛みを指していました。医学の手引きの一部にも記載され、船員や兵士など、家から遠く離れた人々を襲う病として扱われていました。時とともに意味は変化し、主に過去のある時期への憧れや、過去の穏やかな日々へ「帰郷」したいという欲求を指すようになりました。
懐かしさのほろ苦い感覚は、突然訪れることがあります。きっかけは、ごく単純なものです。半ば忘れていた旋律、刈ったばかりの草の匂い、見慣れた通りに差し込む陽光と長い影、ほこりをかぶった古い本。こうしたきっかけは、人生の形成期の記憶につながっています。戻りたいと願いながらも、通り抜けられないガラスの向こう側から、その記憶を眺めているような感覚です。
大人にとって、一部の子ども時代の経験は、時がたつにつれて懐かしさをより強く帯びるようになります。父との狩り、きょうだいとの裏庭でのピクニック、いとこと一緒に見たお気に入りの映画、母との本の読み聞かせ。時がたつにつれ、こうした経験は、その瞬間に感じた以上の意味を持つようになります。記憶に付随するもの――古い散弾銃、傷んだピクニックかご、色あせた本の表紙――は、喜びや悲しみ、活動、感情、場所、そして何よりも、世界がまだ新しかった、最も感受性の高い時期に私たちを形づくった人々を思い出させます。
懐かしさは、大人に見られる単なる興味深い感情以上のものです。年齢を重ねる中で、私たちを形づくる力を持っています。懐かしさを呼び起こすものは、私たちが何者であるかを形づくり続け、その物語をつくっていきます。それは、私たちにとって何が最も大切なのかを表すものでもあります。こうして懐かしさは、大人になってからも、私たちの優先順位や世界観を少しずつ形づくり、強めていきます。その非合理的で身体感覚に訴える性質によって、私たちは特定のきっかけに本能的に反応し、意識しないまま、それらとそこに込められた意味に特別な重みを置くのです。
懐かしさを形づくる親の役割
親には、子ども時代にさまざまな経験や影響、物を与え、それらが懐かしさを通じて大人になった子どもの人生に作用することで、子どもの未来の懐かしさを「形づくる」独自の機会があります。今、子どもに与えているものが、将来、その子が大人になったときに優しい気持ちを抱くものになるかもしれません。
その視点に立てば、子どもの人生を満たす遊び、活動、本、映画は、現在だけでなく、未来の子どもたちをも形づくっています。それらが与える影響について、意識的に考える価値は十分にあります。
言い換えれば、私は、大人になった子どもが『スポンジ・ボブ』よりも『ナルニア国物語』に強い懐かしさを感じてほしいと思います。ゲームをしているときよりも、森を歩いているときに、より強い懐かしさを感じてほしいのです。子ども時代の温かな記憶が、ウォーターパークへの外出よりも、聖ルチアの日のろうそくやルセカッタによって、より強く呼び起こされることを願います。

もちろん、テレビ番組やゲーム、ウォーターパークが、子ども時代やその懐かしさの中に居場所を持つべきではない、という意味ではありません。それらにも、前向きな役割は確かにあります。しかし同時に、それらの経験を、大人になった子どもが青春時代と最も強く結びつけるものにしたいとは思いません。一般的に、それらの経験は、私が子どもに伝えたいと思う価値観や世界観を示すものではないからです。
『ナルニア』シリーズが育む、驚異や気高さへの愛は、ほとんどの子ども向け番組に見られるドタバタやありふれた教訓よりも、人生を導く羅針盤として優れていると思います。日差しを浴びた森の空き地の記憶は、長い目で見れば、ゲームの仮想世界に没入した記憶よりも、子どもたちにとって大切なものになるでしょう。
もちろん、ほかの親は異なる判断をするでしょう。しかし、ここで大切なのは、少なくとも何らかの判断をする価値があるということです。これは、子どもがいつまでも温かな気持ちとともに覚えていてほしいものなのか、それともそうではないのか、と考えてみることです。
日常の輝き
このような子育ての考え方は、心を奮い立たせる一方で、プレッシャーを感じさせるものでもあります。最近拡散された動画の中で、イーサン・ラピエールという父親は、親として「子どもの懐かしさをリアルタイムでつくっている」という、胸に迫る現実について語りました。
「もう自分の人生を生きているだけではありません。他者の人生を形づくっているのです」と彼は言います。
「だから、大人であり、今は親であるということは奇妙です。しかし、私はそれを特権だと考えています。親であるだけでなく、誰かの記憶のアルバム全体の一部になれるからです」
この動画が人気を集めたことについて、ヒマンシ・バフグナ氏は『マザーリー』に、こうした気づきが多くの人の心に響いた理由を書いています。
「突然、普通の世話にも意味があるように感じられます」と彼女は言います。「一日を何とか乗り切ろうとしている間にも、子どもの記憶が、何の前触れもなく静かに形づくられていることに気づくのです。……多くの親は、この[気づきの]瞬間を、美しいと同時に恐ろしいものだと表現しています」

懐かしさが形づくられていくことへの気づきは、子どもに与える影響について、より意識的になるよう親を促すだけではありません。日常の何気ない瞬間にも、輝きを与えてくれます。
「親にとって最も信じるのが難しいことの一つは、同時に最も安心させてくれることの一つでもあります」とバフグナ氏は書いています。「小さなことが重要なのは、まさにそれが小さなことだからです」
その真実に心をゆだねること――日々の混沌の中では、それが難しい場合もあります――は、親であることの大きな喜びの一つです。
しかしバフグナ氏は、親たちに「子ども時代は演技ではなく、世話は見せ物ではない」ということも思い出させています。親は、良いものに囲まれるよう、意識して子どもを導いていくべきです。健全な伝統、美しく、励みとなる文学、冒険心をかき立てる活動などを通して、良い記憶をつくることができます。
しかし、子育てという贈り物の本質は、そのどれでもありません。愛です。子ども時代の装いが完璧なものではなかったとしても、愛があれば、それでも美しいものになるのです。
子どもが最も強く覚えているのは、その愛なのかもしれません。それこそが、健全な懐かしさの本当の核なのです。
(翻訳編集 日比野真吾)
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