進化論の虚構(2) ジャワ猿人の誕生、破綻、そして悪あがき
前回は、世界を41年間も欺いてきた「ピルトダウン猿人」の顛末をお伝えしました。まさにこの「完璧」な「猿人」が、進化論を人々の心に深く浸透させ、主流の世論にしたのです。なぜなら、それは欠陥だらけの「ジャワ猿人」よりも、はるかに強力だったからです。ピルトダウン人の正体が暴かれた後、学術界の専門家たちは次々と「自己弁護」を行い、すぐにそれを忘れ去ろうとし、再びジャワ「猿人」や北京「猿人」などを「動かぬ証拠」として持ち出しました。こうして、この二大「猿人」の見るも無残な出自は、完全に覆い隠されました。
14.進化を求める夢、熱血が沸き立つ
「進化論の証拠はどこにあるのか」――この問いは160年以上にわたり投げかけられてきました。
多くの人はこう反問するでしょう。「これほど多くの事実が、すべて進化の証拠ではないのですか。ダーウィンの重厚な『種の起源』に書かれているのは、すべて証拠ではないのですか」――これこそが、世の人々が見事に惑わされている証拠です。
実際のところ、ダーウィンの『種の起源』が世界を震撼させたのは、その大胆な進化の想定でした。AはBに似ており、CはDに似ており、EはFに似ている……過酷な生存条件の中で、自然は優れた者を選びました(適者生存)。したがって、A→B、C→Dといった進化関係が存在するかもしれない、クジラは古代の四足獣から進化したかもしれない、馬は小型の動物(原始馬と名付けられました)から進化したかもしれない……人間は古代の類人猿から進化したかもしれない――これらはすべて可能性、推測、仮定に過ぎず、仮説を積み重ねた想像であり、証明不可能な仮説なのです。
大まかに証明できるとされている唯一のものは、長い時間を代表する化石です。そのため学術界はいまなお、もし化石によって明確な進化系列を示し、中間段階を列挙できれば、そのような系列が十分に多ければ進化を証明できると考えています(厳密に言えば、これでも証明にはなりません。後述しますが、進化論を証明しているように見える品種改良や遺伝子突然変異も、種内変化を示すに過ぎず、種外進化を証明するものではありません。それを無理に進化と呼んでいるだけです)。
ダーウィンは具体的な進化の証拠を提示できませんでした。なぜなら、もしAがBに進化したのであれば、必ず中間の過渡的な種が存在するはずですが、現実にはそのような生物は見つからず、化石にも進化系列は発見されていないからです。
これに対するダーウィンの説明は、「化石記録が不完全だから」というものでした。――すべての中間段階の生物が化石にならなかったのでしょうか。それはあまりにも都合が良すぎるのではないでしょうか。
そこでダーウィンは補足として予言を発しました。将来必ず進化の中間段階の生物が見つかり、進化論が証明されるだろう、と。こうして進化論を信奉する熱血青年たちは、世界規模の夢探しに乗り出したのです。
15.オランダの青年、ジャワで夢を描く
デュボアは、オランダの中学校教師で解剖学を教えていました。彼はダーウィンの熱烈な支持者であり、猿人化石を見つけて進化を証明したいと切望していました。彼の考えでは、東アフリカとインド以東が猿人の発祥地であり、当時インド以東はオランダの植民地でした。彼はそこで運を試そうと決意しましたが、研究申請は却下されました。1887年、彼はスマトラの軍医として志願し、東南アジアへ夢を追って向かいました。
16.猿の頭蓋骨を一つ掘り当てる
1888年、デュボアは妻とともにスマトラに到着しました。小さな軍病院で働く傍ら、洞窟で化石を掘り続けました。1891年の乾季、彼はジャワ島のソロ川沿いで多くの動物化石を掘り出しました。9月には霊長類の臼歯を掘り当て、絶滅したチンパンジーの一種だと考えました。10月には前頭骨の一部を掘り出し、顕著な眉稜を持つ典型的な猿の特徴を示しているとして、当年の『鉱産公報』に成果を発表しました。
17.45フィート離れた場所で、人の大腿骨を拾い出す
雨季が明けた1892年の乾季、デュボアは掘削を続けました。8月、鹿、サイ、ハイエナ、ワニ、ブタ、トラ、そして絶滅したゾウの化石に混じって、人の大腿骨の化石を発見しました。この大腿骨は、前年に発見されたチンパンジーの頭蓋骨から13.7m離れていました。その後、頭蓋骨の発見地点から10フィートの場所で、別の臼歯も見つかりました。
18.大胆な組み合わせ、驚くべき「仮定」
デュボアは当時、臼歯、頭蓋骨、大腿骨が同一個体に属すると固く信じていました。それは絶滅した大型チンパンジーだというのです。これはあまりにも「大胆」でした。なぜなら、
① 45フィートも離れた二つの骨を、どうして同一個体だと断定できるのでしょうか。同一種だとするだけでも無理があります。
② 10か月も間隔のある二度の発掘で、地層記録もないのに、どうして同時代の化石だと判断できるのでしょうか。同一地層で原位置のまま埋蔵されて初めて、同時代と言えるのです。
本当に古生物学を学んだ人間であれば、このような露骨な寄せ集めは決して行いません。
19.詐欺の啓蒙、「猿人」誕生
「デュボアは当初、頭蓋骨をチンパンジーと分類する傾向にありましたが、イェーナ大学の動物学教授エルンスト・ヘッケルと文通した後、それを長年探し求めていた進化の『失われた環』だと宣言しました」――1963年、リチャード・キャリントンは『百万年前の人類』にこのように記しています。
デュボアの発表後、ヘッケルは祝電を送りました。「直立猿人の発明者から、幸運な発見者になったのだ」――これはまさにデュボアの「発明」でした。厳密な学者であれば、45フィートも離れた二つの化石を同一個体と断定することなど、決してできないからです。
ではヘッケル教授とは何者でしょうか。現在では、彼が数多くの捏造を行った学術詐欺師であることが知られています(後述します)。しかし当時はまだ露見しておらず、進化論の大権威の一人であり、デュボアが敬仰する大先輩でした。
20.幾度もの大鑑定、「猿人」はすべて破綻
1895年、デュボアはジャワ「猿人」化石をヨーロッパに持ち帰りました。彼は学術界の承認を切実に必要としており、そのため発掘時の原始記録を伏せ、あたかも同時同地で頭蓋骨と大腿骨が出土したかのように見せました。
ライデンで開かれた第3回国際動物学会では、ヘッケルのように熱狂的に「猿人」を鼓吹する者もいましたが、一方で単なる猿だと断定する者や、頭蓋骨と大腿骨は別種に属するとする者もいました。
デュボアはパリ、ロンドンで相次いで展示しましたが、依然として合意は得られませんでした。
1895年12月、「ジャワ猿人派」は周到に計画し、裏で操作し、ドイツ・ベルリンで「人類学・民族学・先史学会」による大会を開催しました。目的は明白で、「猿人」を鑑定で通すことでした。しかし学会会長のルドルフ・ウィルヒョウは、偽物にお墨付きを与えることを嫌い、司会を拒否しました。
操作された討論の中でも、スイスの解剖学者ユリウス・コルマンは、ジャワ化石は猿に過ぎないと主張しました。ウィルヒョウ博士は、「ジャワ猿人の大腿骨は典型的な人間のものであり、頭蓋骨の眉上には深い縫合線があり、これは典型的な猿である。両者は無関係だ」と断定しました。
21.鑑定操作に失敗、世論操作で「大勝利」
鑑定操作は失敗し、学界で合意は得られませんでしたが、「ジャワ猿人派」は意に介しませんでした。彼らは直接宣伝に走り、「1859年の『種の起源』以来33年間待ち望まれてきた進化の失われた環が、ついに見つかりました。進化信仰はもはや推測ではなく、証拠ある『科学』となり、専門家にも『公認』された」と喧伝しました。そして「この新しい『真理』を信じない者こそ無知だ」という世論を大量に作り出しました。
「デュボアが発見した直立猿人は、真理のための戦いの局面を根本的に変えた」とヘッケルは宣言しました。「彼は、私が理論上予言した猿人を見つけたのだ。その人類学的意義は、X線が物理学にもたらした意義よりも大きい」
つまり最大の勝者であり受益者はヘッケルでした。彼は先見的な理論家であり、デュボアがその予言を証明したのです。これは前章のピルトダウン猿人大詐欺において、ドーソンの「発見」が大権威ウッドワードの「猿人予言」を証明した構図と、驚くほど似ています。
22.致命的な六つの疑問
当時の「ジャワ猿人派」がどれほど宣伝し、現在の生物学界がどれほど隠蔽しようとも、次の六つの致命的な疑問を封じることはできませんでした。
① 45フィートも離れた二つの骨を、なぜ同一個体と断定できるのですか。
② 10か月も間隔のある二度の発掘で、地層記録もないのに、なぜ同時代だと言えるのですか。
③ ジャワ「猿人」の大腿骨は完全に人間で猿の特徴がなく、頭蓋骨は完全に猿で人間の特徴がありません。中間段階の痕跡がなく、明らかに二種の寄せ集めです。
④ 発掘現場の獣骨の堆積は自然形成とは思えません。鹿、サイ、ハイエナ、ワニ、ブタ、トラ、古代ゾウが雑然と混じっており、むしろ太古の人類が狩猟後に骨を捨てた場所のようです。もしそうなら、その時代にすでに人間が存在していたことになります(遠古人類文明の遺跡は実際に多数あります)。それなら猿人を探す意味は何でしょうか。
⑤ なぜ猿の頭蓋骨と人の脚だけを選んで組み合わせたのですか。
⑥ デュボアがヨーロッパに持ち帰った化石箱には、さらに三本の人間の大腿骨が入っていました。これは「猿人」時代にすでに現代的な体型の人類が存在した証拠です。なぜ秘匿したのですか。
23.「ワニ仮説」、よくも言えたものです
最初の二つの致命的な疑問に対し、デュボアは「ワニ仮説」を持ち出しました。「45フィート離れた頭蓋骨と大腿骨は、もとは同一個体であり、ワニがそれらを引き離したのだ」というのです。
――滑稽ではないでしょうか。進化論は常にこのように、新たな仮説や空想で古い仮説をつなぎ合わせ、連鎖する仮定で成り立っています。もし法廷であれば、誰もが詐欺と判断するでしょう。しかし、これを語るのが科学の名士や権威であるため、現代の人々は吟味しなくなっているのです。
この「ワニ仮説」を信じますか。実のところ、当時の「ジャワ猿人派」自身も信じておらず、口にすることすら避けていました。残る三つの疑問については、進化論者たちは完全に対応不能でした。
24.断固として非を認めず、見栄を張り続ける
当時と今とでは状況が異なります。当時、進化論は流行の思想に過ぎず、人々はその大胆さに驚きはしましたが、信じる者は多くなく、デュボアの「ワニ仮説」を認める者もほとんどいませんでした。
度重なる批判を受けて冷静になったデュボアは論争から退き、化石を地下室にしまい込み、25年間日の目を見せませんでした(ピルトダウン「猿人」の張本人ウッドワードが化石を隠して鑑定させなかったのと同じです)。しかし「ジャワ猿人派」の学者たちは退きませんでした。彼らの熱血的支持者たちは、すでに後戻りできなかったのです。誤りを認めて学界の笑い者になるくらいなら、意地でも宣伝を続け、時間とともに論争を風化させる方を選びました。
25.20年の苦しい踏ん張り、ピルトダウン猿人が救援
「ジャワ猿人派」はこうして20年間踏ん張りました。そこへピルトダウン「猿人」が華々しく登場し、彼らへの圧力は和らぎました。欠陥だらけのジャワ人は、ピルトダウン人の光の陰に隠れ、脇役・補助証拠として存在することができたのです。ピルトダウン人が41年間独壇場となる中で、ますます多くの人が「事実」を前に進化論を信じるようになり、進化論が主流思想となる一方で、ジャワ「猿人」の論争は忘れ去られていきました。
26.ついに鑑定に同意、ジャワ「猿人」は瞬時に崩壊
学者は老年になると、若い頃の過激さが薄れ、より理性的で冷静になります。晩年のデュボアも同様でした。医師の勧めにより、彼はついに鑑定に同意しました。その結果は予想通りでした。
ジャワ「猿人」は、頭蓋骨と歯は猿類に属し、雌雄も混在しており、大腿骨は人間のもので、しかも年代も異なっていました。
27.デュボアは誤りを認め、進化論は責任逃れ
いずれにせよ、晩年のデュボアの誠実さと勇気は高く評価されるべきです。彼は公に声明を出し、自身の「猿人発見」を撤回しました。45フィート離れた二つの骨は同一種ではなく、頭蓋骨はすでに絶滅した大型チンパンジーであると認めたのです。
進化論の最初の「有力証拠」は、こうして撤回されました。それでは進化論はどうやって成り立つのでしょうか。実際、これを欠いた進化論は成り立たないのです。
そのため、当時の「ジャワ猿人学派」も、現在のほぼすべての(進化論を基盤とする)生物学界も、デュボアの晩年の告白を認めませんでした。彼が老いぼれたのだと言いましたが、老年性認知症の証拠は示せませんでした。あるいは、圧力に屈して翻意したのだと言いましたが、その圧力が科学に必要な厳密さと検証であるとは言えませんでした。
現在に至るまで、進化論界は事実を隠蔽し、デュボアが「ジャワ猿人の発見を撤回した」ことを認めていません。彼らは再びジャワ「猿人」化石を持ち出し、進化論の動かぬ証拠とし、功績をデュボアに帰し、後に撤回した彼を「古人類学者」と称しています。
28.ピルトダウン猿人露見、ジャワ猿人が再浮上
1940年、82歳でデュボアは亡くなりました。13年後の1953年、ピルトダウン「猿人」が暴露されると、ジャワ「猿人」は再び進化論唯一の「動かぬ証拠」となり、重責を一身に担うことになりました。これ以上、崩れるわけにはいかなかったのです。
デュボアは自ら若き日の「猿人化石」の夢を打ち砕き、誠実に誤りを認め、学術的な厳密さに従いました。その姿勢は称賛に値します。しかし進化論学界、そして進化論を基盤として築かれた現代生物学界は、これを認めません。彼らはデュボアに夢を見させ続けたいのです。どうしますか。真相を覆い隠し、新たな偽史を作るだけです。
注目すべき点があります。今回の鑑定を行ったのも進化論の専門家ではなく、医師でした。前述のピルトダウン「猿人」大詐欺も、最初に見破ったのは歯科医マーストンでした。しかし進化論の専門家たちは理解せず、信じず、認めず、41年間にわたり詐欺を支え続けました。その間、ピルトダウン「猿人」を認める研究論文や芸術作品が次々と生み出され、科学的解説や図解が氾濫し、博士論文だけでも500本以上に達しました。それにもかかわらず、学界はいまなお歯科医マーストンの洞察を隠し、あたかも進化論の専門家が41年後に真相を暴いたかのように装っています。
そして今や、進化論の専門家たちは、医師によるジャワ「猿人」の鑑定結果を語ることを、さらに恐れています。なぜなら、進化論の始祖たる「動かぬ証拠」を守らねばならず、しかも後続の「猿人」化石は、厳密さにおいてジャワ人にも及ばないからです。
(未完・続く)
参考文献:
1. Dr. Dubois’ So-Called Missing Link1. Nature 51, 428-429 (1895),28 Feb 1895.
2. KEITH, A. Dr. Eugene Dubois. Nature 147, 473-474, 19 Apr 1941, doi:10.1038/147473a0
3. Hank Hanegraaff, The Face That Demonstrates The Farce of Evolution, Thomas Nelson, ISBN-13 978-0849942723, 14 Feb. 2001.
4. Harun Yahya, The Evolution Deceit, Global Publishing, ISBN-13 978-9756579381, 1 Jan. 2001.
5. Michael A. Cremo, Richard L. Thompson, The Hidden History of the Human Race:The Condensed Edition of Forbidden Archeology, Bhaktivedanta Book Trust, Edition 2nd. ISBN-13 978-0892133253, 15 May 1999.
(翻訳編集 解問)