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なぜ子どもは童話を読むべきなのか?

長い年月の中で、いくつかの童話は独自のかたちで時代の試練を乗り越え、現代に至るまで受け継がれてきました。そしてそれらは、子どもたちの成長において欠かせない存在となっています。今日では、かつてほど読書が盛んではない時代となりましたが、それでもなお、多くの子どもたちは『シンデレラ』『ジャックと豆の木』『聖ゲオルギウスと竜』などの物語に親しんでいます。

確かに、こうした童話の多くは何度も改作され、現代の子どもたちはグリム童話よりもディズニー版に詳しいかもしれません。しかしながら、童話の基本構造や魅力は時代を超えて輝き続けています。なかには青銅器時代までさかのぼる起源を持つものもあり、今日でも語り継がれているのです。明らかに、童話には不思議な力があり、それは子どもだけでなく、大人の想像力までもかき立て続けています。

童話は、子供たちの心と想像力を刺激し、善と悪についての教訓を教えてくれます。(Biba Kayewich)

一部では童話は時代遅れだとする声もありますが、私はむしろ、子どもたちはもっと童話に触れるべきだと信じています。C・S・ルイス、J・R・R・トールキン、G・K・チェスタトンといった神話や童話の巨匠たちも、童話には他では得られない精神的な宝が込められていると語っています。
 

童話が教えてくれる道徳と善良さ

まず、童話が描く道徳的な教訓は、子どもの心・想像力・知性に深く響きます。『シンデレラ』は、謙虚さと忍耐が報われることを教えてくれます。『美女と野獣』は、見た目に惑わされず、内に秘められた美しさを見抜く愛の力を語ります。

多くの童話は、正直さ、知恵、勇気といった美徳の大切さ、そして不道徳な行動がもたらす痛みを描いています。これらの教訓は鮮やかで印象的なイメージを通じて伝えられ、物語を読み終えたあとも子どもたちの心に長く残るのです。童話は現実を象徴的なかたちに凝縮します。善と悪、美と醜、真と偽、高貴と卑しさ――。これらのイメージは強烈で具体的なため、まるで濃縮されたエッセンスのように、深く子どもたちに影響を与えます。

たとえば、神話に登場する竜は邪悪を目に見えるかたちにします。身体、手足、爪、尻尾――こうした描写によって、邪悪とは何かを子どもたちは具体的に理解できます。それは自己中心的で、破壊的で、貪欲で、残酷なものです。

しかし、童話が描くのは悪だけではありません。それに立ち向かう光の存在――英雄たち、静かな谷、壮麗な城――そうした世界もまた、子どもの心に美しさ・善良さ・希望の象徴として刻まれます。
 

人生に備えるために

子どもが童話を読むべきもう一つの大きな理由は、それが「人生の訓練」となるからです。童話は、人生に立ちはだかる困難や悪を、美徳の力で乗り越えられることを教えてくれます。

C・S・ルイスは「子どもたちは人生で冷酷な敵に直面するかもしれない。そのときに備えて、勇敢な騎士の存在を知っておくべきだ」と述べました。童話が子どもを不必要に怖がらせるという意見に対して、ルイスは「むしろ子どもは、年齢に応じて『悪』というものの存在を知る必要がある」とし、同時に「悪を打ち負かす『善』の力も知る必要がある」と語ります。

このような「善が最終的に勝利する」という信念は、単なる希望的観測ではありません。それは、子どもにとって極めて重要な心の支えとなる信仰であり、大人になって「人生という暗い森」を進むときにも必要な力なのです。

G・K・チェスタトンも同様のことを述べています。彼はこう書いています。「童話は子どもの恐怖を生み出すのではない。子どもは生まれながらにして、すでに心の中に『竜』を持っている。童話が与えてくれるのは、竜を倒す聖ゲオルギウスなのだ」つまり、童話は恐怖に立ち向かい、勇気と希望を育む手段なのです。彼は続けます。「童話が本当にすることは、恐怖という無限の存在が、実は有限であるということを伝えることです。形なき敵にも敵がいる。神の騎士がいる。闇よりも深く、恐れよりも強い力が、宇宙には存在するのです」
 

不思議へのまなざし

童話は子どもの好奇心を育て、世界が「魔法」に満ちた場所であると教えてくれます。童話に親しむ子どもにとっては、日常的なもの――石、木、火、パン、ぶどう酒――でさえ、特別な輝きを放つものとして映るのです。J・R・R・トールキンは童話に関する論文でこう述べています。

「童話は、非常に基本的で単純なものを扱っている。だが、それらは童話の文脈の中で、より輝きを持つようになる。私は童話の中で初めて、言葉の力や、石、木材、鉄、草原や森、家や火、パンやワインといったものの神秘さを知った」

チェスタトンも同様に、「童話のリンゴが金色なのは、それが緑だったことを私たちに思い出させるためなのだ」と言います。童話に触れた子どもは、普通のものの中に美しさを見いだす目を持つようになります。それは感謝や喜び、さらには文明の発展さえも支える力になります。すべての知恵と哲学の始まりは「好奇心」にあります。

童話に親しんだ子どもは、やがて成長し、言葉にはできないような憧れを抱くようになります。緑あふれる野原や、朝露に光る葉、空気よりも澄んだ滝、天を指す尖塔の城――こうした「童話のような世界」への憧れは、年月とともに形を変えながらも、決して消えることはありません。こうした憧れを抱く人は、人生においてぶれることのない内なる指針を持ちます。彼らは「ヒライス(HIRAETH)」という感情を知るようになります。それは、訪れたことのない故郷への深い郷愁――ウェールズ語に伝わる、切なる思いです。

最後に、C・S・ルイスの言葉を引用しましょう。彼は著書『栄光の重み』の中で、こう述べています。「こうしたもの――美しさや、私たちの過去の記憶は、私たちが本当に求めているものの象徴でしかない。それらは事物そのものではない。それらは、まだ見つけたことのない花の香り、まだ聞いたことのない旋律の余韻、まだ訪れたことのない国からの便りなのだ」童話が与えてくれるこの「郷愁」と「探求心」こそが、私たちを人生において、最も美しく価値あるものへ導いてくれるのです。

(翻訳編集 解問)

英語文学と言語学の修士号を取得。ウィスコンシン州の私立アカデミーで文学を教えており、「The Hemingway Review」「Intellectual Takeout」および自身のサブスタックである「TheHazelnut」に執筆記事を掲載。小説『Hologram』『Song of Spheres』を出版。