王朝や地域ごとに異なる太鼓が使われてきた(lzf / PIXTA)

中国古典舞踊における太鼓

地域や王朝によって形の異なる太鼓が生まれ、それぞれ異なる場面で使用されました。

八角太鼓

八角太鼓(神韻芸術団)

清の時代、王朝を治める満州族の八枚の旗を代表する意味で、八角太鼓が生まれました。これらの太鼓は、特に中国北部の北京、天津、山東、そして東北で好まれています。太鼓を叩きながら踊ることが伝統で、左手で太鼓をかざすように持ち、右手で叩きます。左手の指はリズムをとります。弾く、音を抑える、回すなどが、八角太鼓でよく使われる技術の一部です。

 

戦太鼓

戦太鼓(神韻芸術団)

戦太鼓は、戦隊に指令を出し駆り立てる目的で、最初に戦場で用いられました。「攻撃」に当たるリズムや「撤退」にあたるリズムなど、さまざまな拍子で、兵士がどのような隊形を作るべきかを導きました。

戦の道具としての役割は現在なく、民族芸術の一部となりました。力強く響き渡る音は、今でも、志気に満ちた英雄の精神を掻き立てます。これらの中国の太鼓は、直線的なリズムで明確に力強さを位置づけます。これらは基本的に中国人の精神を表現するために用いられました。

 

腰太鼓

腰太鼓(神韻芸術団)

腰太鼓は、砂時計の形をした枠の両端に皮が貼られています。長さはおよそ40−45センチで、音の高さは中間です。下腹の前で叩き、鼓手の動きを妨げないように、絹のカラフルなリボンを腰に巻き付ける形で太鼓の位置を定めています。

腰太鼓は初め、陝西省の中央北部に横たわる黄土高原で、好まれるようになりました。その後、 収穫を祝う民族舞踊に採り入れられ、踊る、蹴る、跳ぶ、叩くを同時に行う形へと発展しました。これらの腰太鼓は、ほとんどが上拍のリズムで、中国の中央部の人々の誠意深く元気な性格を反映しています。

――「神韻芸術団」(日本語ホームページ)より転載

https://ja.shenyunperformingarts.org/explore/view/all/page/5

 

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