「信無くば立たず」 友人との間の信 【雅(みやび)を語る】
孔子は「信無くば立たず」と説きました。なぜ「信」がこれほど重要なのでしょうか。
ひとりの人間が社会で立脚するためには、まず人々の信頼を勝ち取らなければなりません。信頼を得てからこそ、応援や手助けなどをしてもらえるのです。信頼関係がなければ、前には進めません。
周王朝の幽王は褒姒(ほうじ)という美女を寵愛していました。褒姒は笑うことがなく、幽王はなんとか彼女を笑わせようと、兵乱発生の合図である烽火を上げさせました。
古代では、烽火は有事の際、危険を知らせる仕組みとして非常に重要視され、攻撃を受けた時のみ、火をつける事になっていました。しかし、烽火を見て軍を緊急召集し、慌てて駆け付けた諸将の目の前に広がったのは、笑みを浮かべた褒姒と大いに喜んでいる幽王でした。
その後、幽王は褒姒を笑わせようとしばしば無意味に烽火を上げさせ、何度も無駄足を運んだ諸将は幽王を信じなくなってしまいました。そしてついに、本当に反乱が起き、幽王は軍を召集しようと烽火を上げさせたものの、誰も集まらず、結局、幽王は殺され、西周も滅ぼされました。
「信無くば立たず」は古代だけでなく、現代でも通じる理です。友人との間だけでなく、家族との間においても、恋人の間においても同じです。信頼関係の礎があるからこそ、心が通じ合い、お互いに支え合っていけるのです。
関連記事
古代中国において、皇帝は「天子」と呼ばれました。天子は神に選ばれた人間であり、徳によって国を治めることを求められました。天子の徳が廃れると国が乱れ、天災に見舞われます。それによって衰退した王朝は、新しい政権と交代するのです。
北宋の政治家で、歴史家でもある司馬光(1019 - 1086)は、紀元前403年から紀元969年までの歴史を編年体で綴った『資治通鑑(しじつがん)』を編集した人物。この歴史書は、実際に政治を行う上での参考にすべき書として、後代の王朝では大変重宝され、司馬光も、偉業を成し遂げた学者として尊敬されている。
ジャックは弁護士です。初めて私の診療所に来た時、彼の表情は患者というよりも、むしろ裁判官といったほうが適切でした。
(魏徴の上書、続き)「そもそも、群雄が天下を狙って取ろうとしているうちは、その心中に憂いもあり、必ず誠意を尽く […]
古代の中国人は名前とは別に雅号(文人・画家・書家などが、本名以外につける風雅な名)や字(あざな/成人男子と女子が実名以外につける名)がよく使われました。人々は尊重の意を込めて、相手の名前ではなく、雅号や字で呼びます。