ガダルカナル島の戦い80周年を追悼する式典で米国、同盟国がソロモン諸島に集結
2022年8月上旬、各省の代表からなる米国派遣団がガダルカナルの戦いの80周年を記念し、主催国、オーストラリア、日本、ニュージーランドとの長年のパートナーシップを強化するため、ソロモン諸島のホニアラを訪問した。
ウェンディ・シャーマン(Wendy Sherman)米国国務副長官、アメリカ太平洋海兵隊(MARFORPAC)司令官のスティーブン・ラダー(Steven Rudder)中将、キャロライン・ケネディ(Caroline Kennedy)駐豪米国大使、およびその他のアメリカ軍高官が、第二次世界大戦のガダルカナル・アメリカ記念碑のあるスカイライン・リッジで行われた追悼式典に出席した。 この1時間に亘った式典では、ガダルカナル島で初めて合同軍の旗手が国旗とともに、当時の戦闘に参加した米国の陸軍、沿岸警備隊、海兵隊、海軍の各軍部の軍旗を掲げて行進した。
ラダー司令官は「我々は、犠牲になった人々を忘れないためにこうして集まった」と述べ、さらに、 「[ガダルカナル島の戦いは]ソロモン諸島の歴史を変え、我が国の歴史を変えた。 この機会にソロモン諸島の人々への深い感謝の気持ちを示したい。 彼らは我々が行ったあらゆることに力を貸してくれ、我々の想像を超える苦難を耐え忍んだ。 しかし、こうした犠牲を忘れないと同時に、未来に目を向けることも大切だ。 そして、[アメリカインド太平洋軍(USINDOPACOM)]とアメリカ海兵隊として、将来に目を向けていくことを誓う」と述べた。
ソロモン諸島政府通信部隊(GCU)とニュージーランド国防軍は、太平洋の歴史の中で最も多くの死者を出したこの戦闘の追悼は、反省の場であると同時に、何をすべきかを改めて認識する機会となるべきだと述べた。
ソロモン諸島政府通信部隊はFORUMに対し、「80周年を迎える今日、我々は平和、調和、友好、協力を祝う」とし、さらに「人びとの生活の質の向上、不発弾の除去、気候変動、健康、新型コロナウイルス感染症対策、進歩・平和・繁栄のインフラ構築に注力し、世界が二度と分裂しないよう努める」と述べた。
ニュージーランド 合同部隊の司令官であるジェームズ・ギルモア(James Gilmour)少将は、この式典を戦いと戦没者を追悼する「力強い」瞬間であるとした上で、 「多くの人々が紛争の両側で戦闘中に命を落とした。 比類ない勇敢さとともに、極度の苦難があった」と語り、さらに「あの時代が終わりを告げ、現在我々が近しい同盟国であり、太平洋の隣国であることを認識しつつ、こうして友人たちと共にこの戦いを追悼できることは非常に意義深いことだ」とFORUMに述べた。
式典にはラダー司令官のほか、同じく海兵隊でアメリカインド太平洋軍司令部副司令官であるステファン・スクレンカ(Stephen Sklenka)中将、第1海兵遠征旅団司令官のジョージ・スミス(George Smith)中将、および第1海兵師団司令官のベンジャミン・ワトソン(Benjamin Watson)少将といった米軍の上級将校が出席した。派遣団には当時戦闘に従事した各軍部を代表し、 米国沿岸警備隊太平洋地区司令官のアンドリュー・ティオンソン(Andrew Tiongson)海軍中将、 米国海軍太平洋艦隊工兵海軍施設工学システム太平洋司令部/部長のジェフリー・J・キリアン(Jeffrey J. Kilian)、米国陸軍第25歩兵師団司令官ジョセフ・ライアン(Joseph Ryan)少将といった、戦いに参加した米軍部隊の将校も参加していた。
海兵隊員だった父親がガダルカナル島の戦いで負傷したシャーマン国務副長官は、この戦闘が軍とソロモン諸島の人びとの双方に与えた影響について語った。
「今日ここに集まった我々はガダルカナルの戦いを振り返り、それが太平洋戦線、そして第二次世界大戦の転換点であったと認識することは簡単だ。 しかし、樹木が密生し湿度の高いジャングルを巡視する海兵隊は、敵の狙撃銃と深刻な病気の両方を警戒しなければならなかった。これらの島々の周囲の海で恐ろしい夜戦を戦った水兵や、上空で無数の空中戦を展開した航空兵にとっても、未来は未知であり、知るすべすらなかった」とシャーマン国務副長官は語り、さらに 「そして、ここソロモン諸島のように、多くの場所で、民間人は自分たちの世界が崩壊し、爆弾や迫撃砲が自分たちの町や村に落ち、無実の人々の命を破壊しているのを目の当たりにした」と述べた。
ソロモン諸島スカウト・アンド・コースト・ウォッチャーズ(SSCW:Solomon Scouts and Coast Watchers)トラストは、日本政府が主催した日本戦没者平和記念公園での式典に先立って、SSCW記念碑で追悼イベントを開催した。
米国派遣団はまた、ソロモン諸島政府がブラッディリッジ国立平和公園で開催した式典にも出席した。この公園は1942年9月に米国海兵隊が同地で戦った戦闘にちなんで名付けられた。
7か月に及んだ島の戦いで、米国軍はオーストラリア、フィジー、ニュージーランド、ソロモン諸島、トンガ、イギリスの連合軍と共に戦った。 太平洋戦争の転換点となった戦略的勝利を確実にするためには、連合軍の勇敢さ、決意と献身が不可欠であった。
シャーマン国務副長官はスカイラインリッジでのスピーチで、「今日ーー終戦から一貫してそうであったように――かつての戦闘部隊が平和のパートナーとしてここに結束している。 我々は共に学校や診療所を作り、科学的な共同研究を行い、ワクチンを共有してパンデミックと戦ってきた。 我々は自然災害からの回復を支援し合い、気候変動の影響からお互いを守ってきた。 我々は共に祝い、嘆き、成長してきた」とした上で、「そして何よりも、第二次世界大戦を経て、太平洋の家族として互いに深く永続的な絆を築いており、その絆は年を追うごとに深まっている」と述べた。