前回は「礼」と「楽」が人に与える影響についてご紹介しました。今回は残りの「射」「御」「書」「数」について話したいと思います。
中国神話で「大羿射日」という有名な話があります。戦国時代の曾侯乙墓(そうこういつぼ)から出土した箱の表面に「大羿射日」のお話が刻み込まれていました。「射」(弓術)はすでに夏王朝の時から普及し、周王朝の時には射礼制度(大射礼、燕射礼、賓射礼、郷射礼)が健全化され、文武両道の精神が込められています。武の方面は、主に狩猟や戦いの時の武術を指し、文の方面は、自らの人徳や品位などを養うことを指します。
夏王朝から清王朝まで、長い時代の中で、弓術は非常に重要な芸で、多くの皇帝、例えば、唐の初代皇帝李淵や、唐の太宗李世民、モンゴル帝国初代皇帝のチンギス・カン、清王朝の康熙帝、乾隆帝など、皆弓の名手です。
日本の弓術は独自の発展を遂げ、日本独特の技法・文化・歴史を持つようになり、今では、内面の価値を高め、人生を深く豊かなものにするために、弓道を習う人が増えています。全日本弓道連盟によると、「真」を求める姿勢、「礼節」を大切にし、「相手を慈しむ」精神、そして、完成された美しい形が、日本の弓特有の美しさの世界であり、弓道の心だといいます。
「御」とは馬車を操る技術で、主な移動手段であり、戦争時も用いられました。筆者はかつて博物館で明王朝の魯王・朱檀が外出する時に使用していた一式の儀仗を見たことがあります。非常に威厳がありました。特に先秦時代では、主に「礼」と「楽」をもって人を教化しますが、どうしても教化できないような人間は武力をもって鎮圧することもあります。
先秦時代では、「罪なき人を救い、罪人を罰する」ことが非常に重んじられ、『司馬法』の記載によると、周王朝の時代では、戦いの前に軍隊に対して、「白髪の老人や幼い子どもを傷つけてはならない、すでに怪我している人をさらに攻撃してはならない、抵抗しない人を敵とみなしてはいけない、喪中の家に攻め入ってはならない」などの命令が下されていました。したがって、このような状況における戦いは正義をもって、不正を正す戦いであり、勝利を主旨としていないので、陣地の至る所から威厳が感じられます。
5つ目の「書」には、漢字本来の含意を理解することと、上手な文書を書くことが含まれています。神様からの啓発を受けた蒼頡(そうけつ)が漢字を発明し、それぞれの漢字の背後に深い意味があります。漢王朝の時代になると、漢字の造字および運用の原理を象形・指事・形声・会意・転注・仮借の6種類に分けました。
最後は「数」です。ユネスコは3月14日を「国際数学デー」として定めました。なぜこの日かというと、「3.14」は円周率だからです。円周率と言えば、南北朝時代の祖沖之(そ ちゅうし)は世界で初めて、円周率の小数点以下の値を第7位まで正確に推算した人物です。また、彼は円周率だけでなく、「大明暦」も作りました。
南北朝時代の頃には、望遠鏡もなければ、コンピューターもありません。では、祖沖之はどのようにしてこれほど正確な数値を計算したのでしょうか?中国の数学は『易経』や八卦に由来し、そのため、古代の数学者は数理だけでなく、天文や暦法、占星術などの分野まで研究していたと考える学者もいます。
中国文化では、数字と天文地理、風水、算命学はすべて深いつながりを持っているとされ、例えば、人が生まれた年・月・日・時を表す干支を組み合わせた8字があれば、その人の寿命や運命などを算出することができ、天体の様子と地形を知れば、どこが運気の上がる土地であるか、ひいては、王朝の移り変わりや、自然災害なども推算し出すことができるのです。
(翻訳編集:華山律)
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