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チンギス・カンーー怒りを抑えれば、強敵に勝るも同然(下)【千古英雄伝】

チンギス・カンには3人の実の弟がいます。中でも最も幼い弟はテムゲ・オッチギンで、チンギス・カンとホエルンに非常に可愛がられていました。

チンギス・カンが仕事で忙しい時、オッチギンは馬の餌やりなどを手伝います。チンギス・カンが休んでいる時、オッチギンは庭の掃除をします。彼らはよく一緒に狩猟に出かけるなど、行動をともにしていました。

寛大な心を持ち、智略や戦闘に長けたチンギス・カンを、オッチギンは非常に尊敬しています。モンゴル帝国が築き上げられた後、チンギス・カンは弟たちや功臣たちに領地を分封しました。

ある日、宴会の後、チンギス・カンに別れを告げる時、オッチギンは感極まって、「私は兄上の後を追いかけ、兄上の手中の矢となり、兄上が指さす先へと迷いなく飛んでいきます!」と言いました。弟の言葉に感動したチンギス・カンは、その場で帽子を取り、テングリに感謝の意を述べ、祈りを捧げました。

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