(前稿より続く)
お医者さんが提示した「もう一つの選択肢」を皆さんにお話しする前に、この時のアメリカの社会状況をお伝えしておきましょう。
ちょうど2020年の初頭です。
「中国共産党のウイルス(COVID-19)」の感染第一波が、世界的に猛威を振るっており、米国でも連日たくさんの死者が出ていた頃のことです。
その社会的な影響もあって、僕の両親は職を失ってしまいました。市の公的窓口は閉鎖され、新しい仕事を探すにも、全ての採用が凍結状態だったのです。
そのような中で、オストロム夫妻(つまり僕の両親)は、なかなか医療保険にも加入できませんでした。パンデミックの最中に、しかも経済的な課題も抱えながら、ハイリスクの赤ちゃんを出産する準備をしていたのです。
そこで、お医者さんが提示した「もう一つの選択肢」とは、胎児を中絶すること。
つまり僕の命をストップさせるということでした。
お医者さんは、両親にその2つを告げると、何も言わずドアの外へ出ました。
急いで返答を求めるのではなく、両親に静かに心を落ち着けて考えてもらうためです。
お医者さんのニュアンスは、どちらかと言うと「第2の選択肢」を勧めていました。
僕には、それが全部聞こえていました。両親はもちろん気づかなかったでしょうが、なにしろ僕はお母さんのお腹のなかにいるのですから。
しばらくして部屋に戻ってきたお医者さんに、両親はこう答えました。
「これは私たち夫婦にとって、神を信じる機会なのです。神は、私たちにこの子を与えてくれました。私たちは、この子を失いたくないのです」
その後の両親の反応は、迅速かつ固い決意に満ちたものでした。
「何があっても、この子(つまり僕)を生かす」ということです。
まず両親がとった行動は、お医者さんも言わなかった「第3の選択肢」です。
両親は、いつも通っている教会に連絡をとりました。その教会から各方面にさらに連絡してもらい、多くの人に声をかけました。
「オストロム夫妻とその子のために、神に祈りを捧げよう」と。
その結果、妊娠期間の全期を通じて、少なくとも米国の6つの州とカナダの人々が、両親と僕のために祈りを捧げてくれたのです。
2020年4月12日のイースターの夜、お母さんの陣痛が始まりました。
翌日、4月13日の正午に、僕はこの世に生まれます。両親は僕に「神の贈り物」を意味するセオドアという名前をつけてくれました。
看護師さんが抱き上げて、最初の泣き声をあげた数秒後、僕は両親との感動の対面を果たす暇もなく、大急ぎで新生児集中治療室に運ばれました。
コロナ禍の最中だったので仕方ありませんが、それから1カ月間は、両親とはガラス越しでの対面です。
生まれて4日後には横隔膜ヘルニアの手術を受けましたので、18日間新生児集中治療室にいました。せっかく生まれてきたのに、いきなり管がいっぱいくっついた姿で、あれには困ってしまいました。
僕は今、とても元気です。毎日、両親を困らせるほど走り回っています。
そして、この両親の子供として生まれて、とても幸せです。
あとで知って、僕も安心しましたが、僕が退院した数日後に保険会社から連絡があり、手術費用の全額が保険会社から支払われたそうです。
両親は、取材に来た『大紀元』さんのインタビューに、こんなことを話しています。
「私たちは、神が私たちの生活の全てを支配していると信じています。神は、神を信じている人のために、全てを与えてくれるのです。もちろん私たちの息子は、神からの最高の贈り物です」
へえ、そうか。僕は、神様が両親にくださった「贈り物」だったんですね。
(翻訳編集・鳥飼聡)
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