五千年の輝かしい神伝文化における英雄人物 ― 兵仙戦神の韓信
韓信――(4) 鴻門の会【千古英雄伝】
翌日、劉邦は張良と将軍の樊噲と鴻門に行き、項羽に自分はただ咸陽を守り、項羽が来て王位を就くのを待っているだけだと言いました。それを聞いた項羽は劉邦を信頼し、彼のために酒宴を開きました。
しかし項羽が「亜父」と呼ぶほど信頼を寄せていた范増は、常に劉邦が将来、自分たちを脅かす危険人物だと見ており、後顧の憂いを根絶するために、劉邦を酒宴の機に殺害しようと主張しました。この殺伐とした雰囲気の中、開かれた酒宴が有名な「鴻門の会」です。
宴席で范増は項羽の隣に座り、何度も劉邦を殺せとほのめかしましたが、項羽は知らぬ振りをしました。じれた范増は将軍の項荘を酒席に呼び、祝いの剣舞と称して、あわよくば劉邦を殺してしまおうとしました。項伯もそのただならぬ気配を察し、剣を急遽抜くと、相方として剣舞を始め、身体を張って劉邦を遮ったので、項荘も打つ手がありませんでした。
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