中国伝統文化と日本(二)

華やかな唐(618~907)の前に、隋(581~618)という短いながらも興味深い時代があった。隋の氏姓は楊である。その祖は、後漢の政治家・楊震(ようしん、54~124)に当たるという。確証は、ない。ただし、隋を創立した楊堅(ようけん、541~604)がそのように称していたので、楊震を模範とすることが隋の国是になった。(ただし、実行できたのは楊堅の治世のみであるが)

楊震は政治家として有能であっただけでなく、人品すぐれ、学問を尊び、忠義にあつく、賄賂も受け取らないという、あまりにも理想的な人物であった。それゆえ敵も多かったのであろう。讒言を信じた安帝によって職務から遠ざけられた楊震は、無念のあまり、服毒自決を遂げる。

それから約500年の後、隋の楊堅(文帝)は、楊震の理想を具現するかのように、国家創立と内政改革の大事業を一代で成し遂げる。その意味で、楊堅は十分に名君であったといっていい。

▶ 続きを読む
関連記事
古代中国の周代で行われた冠礼は、成人を年齢ではなく徳と責任の成熟で認める儀礼だった。日本の元服にも継承された「成人という身分」の原点を探る。
いま、「成人」という言葉は、主に「年齢」を表すものとして使われています。「何歳からが大人か」という数字の話はよ […]
イエスは弟子の一人ペトロに対し「鶏が鳴く前に、あなたは三度、私を知らないと言うだろう」と言った。ペトロは、後に初代ローマ教皇となり、イエスの十二使徒の中でも指導的な立場にあった存在だったという。ペトロは、イエスのその言葉に対して「あなたと一緒なら、牢に入ることも、死ぬこともいとわない」と答え
胃が重い、おせちに少し疲れた――そんな頃に迎える一月七日。七草がゆは、実は「人という存在そのもの」を祝う日から生まれた習わしでした。
昼間のルーヴルで起きた大胆な宝石盗難事件。奪われたのは、王妃や皇后たちの人生と歴史を映す至宝でした。宝飾に刻まれた栄光と波乱、その知られざる物語を辿ります。失われたのは宝石だけではありません。