三国志を解釈する(12)
【三国志を解釈する】(12)乱世の難題 答えが徳に潜む
『三国志演義』に描かれている古代社会は、テレビドラマとはまったく違うものです。古代人が物事を決めるときには、徳を判断の基準にし、礼法や武力を補助的な手段として、詭弁は避けるべきものだと思われています。臆病な人が、暴力的な手段によって、一時的に口が封じられたとしても、その人の考えは混乱せず、簡単に洗脳されたり利用されたりすることはありません。それは悪人が最も恐れることで、それゆえに暴君の董卓は屈しない盧植を恐れ、彼を排除しようとしたのです。
董卓の帝位の簒奪に対して、盧植はこう言いました。
「明公(あなた)は間違っている。過去には、殷王朝の太甲(天乙の孫)は徳行を行わないため、宰相である伊尹は彼を反省させるように桐宮に幽閉し、自分が暫くの間に国事を代理したことがある。(三年後、過去の誤りに気付いた太甲を王位に迎え、賢明な国王となった)。漢の昌邑王(劉賀)が即位してわずか二十七日で三千以上の悪事を働いたため、大臣の霍光は太廟を参拝してから、昌邑王を廃位にしたこともある。今の皇帝は幼いとはいえ、賢明で慈悲深く、何の悪事をしたこともない。ましてや、外臣の刺史のあなたは、国政に参加する権力もなく、伊尹や霍光のような才能もないのに、天命に違反して無理矢理に皇位を廃止する理屈はどこにあるだろうか。古き賢者は曰く、「伊尹のように、国王の座を狙わずに、皇帝に義理人情を教えるという志があれば問題ないが、なければ簒奪の反逆行為である」
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董卓が廃帝を強行したことは、「帝は帝ではなく、王は王ではない」という予言が完全に当たったことを意味します。では、歴史が天命によって定められているのであれば、漢の末期に三国が共存したのはなぜでしょうか。